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カテゴリ:建造物
大血川林道の廃発電施設2020編 ご親切に、この発電所の名前を教えて下さった方がいらっしゃいましたが!(感謝) なるべく 画像を撮った時点での考察などをメインとして進めていく予定 って言うか、名前とスペッくを教えてもらったとは言え! 自分で調べていない事には間違いないので!!(恥) そして、そこから更に発展した資料をゲットしている訳でもないので! タイトルも変更せずに進みます 恐らく! 次シリーズの時に、改称するのと ある程度の資料を確保しておこうかと!! ただ一つ考えられることは この廃発電所 造られたのは間違いなく戦後だよね? 前にも書きましたが 窓サッシが鉄製 戦前の物だったら 木で出来ていたはず そして! 横桟が入り、ガラスは2分割ではなく 4~6分割くらいになっていたはず そう 当時(戦前)の日本において 大きな面積のガラスを安定して造る技術は無かった(涙) そんな高価なものを大量に使っている訳がない? で? 仮に・・・ 戦後に建造されたとしたら 大洞第1発電所が完成した 昭和35年で、使用を停止しているはず なので! 意外と この発電所 使用されていた期間が短いのかもしれない? 終戦が昭和20年なので・・・ 最低でも昭和20年代半ばから稼働したはず 下手をすると 10年も稼働しないで廃棄された可能性が??(焦) で・・・ 一つ疑問が! 発電用タービン 何処から入れたのでしょう?(焦) そして!! 中身は空っぽになっているっポイ 廃止後に、どうやって運び出したのでしょう?(謎) 仮に? タービンを組んでから母屋を建て 屋根をしたとしたら この窓から出せる大きさじゃないよね? 分解して出したという可能性はあるけど・・・ この 埋まっちゃってるドアからも 出せる大きさじゃないはずだぞ? って言うか、鉄砲沢の増水 結構凄かったんだろうな? そして、60年の月日が・・・ 立ち入れ禁止措置すら必要ない程に 落石で埋め尽くしてしまって(潰) あと・・・ 2014年の大雪で圧壊してしまった橋も 間違ってもタービンを持って渡れる強度は 当時からあったとは思えないしね?(弱) 仮にタービンが小型のモノだとしても 発電用コイルは、ソコソコ大きかったはずなので 索道を使って川を渡したとしても・・・ この窓やドアから 引きずり出すのは 結構大変な作業だったのではないかと? って言うか、建屋を壊して 出す方が楽だったんじゃね? みたいな?? って! 中を見た事は無いけど まだ残っているととか言う事はないよね? それと・・・ 万が一 オーバーフローしたり 水漏れを起こした時 建屋の中に水が溜まらないよう? 排水するための設備もあったらしい? そんな感じの穴が!! って 改めて観察してみると 色々と疑問点が多くなっていくな?(困) あと 発電した電気は、何処から電線を出して送っていたのか?(焦) 今となっては全く分らなくなってます まあ、その話は一旦置いといて! 右岸に渡ります そして? 何度見ても コレ・・・ バス停に見えちゃうんですよね?(笑) デザインと配色が 富士急バスのモノと物凄く良く似てるので!! つづく にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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