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カテゴリ:建造物
小河内ダム2014編・パート1 今まで、ずっと謎だった場所 何かの建物が建っていたのか? そう だとしても、小河内ダム完成後の話だと そう思っていたのですが なんと!(驚) 昭和28年~昭和30年ころの 小河内ダム建造当時の写真で 遠方に写っているのですが ココに、2つの建造物の姿が! って、あまりに小さすぎるのと 当時のフィルムをスキャンしたものをデジタル処理しているとはいえ 解像度の限界という物があって 何が建っているのか? はっきりとわからないのですが って言うか・・・ 最初は看板が2枚 建てられているのかと そう思ってたんですけどね でも・・・ こんな場所に、看板を1枚建ててるとか どう考えてもおかしい? かと言って この狭さだ! 当時の日本人の体格が、いくら小さいとはいえ ココに事務所とか 休憩所が建ったとは 考えづらい? 何しろ 建物が存在していたとしても 写真に写っているモノに、窓らしきものが見えなかった まあ、資材倉庫が建っていたと そう考える事も出来ますが 何はともあれ ココにダイナマイトを保管していたとか そういう事は絶対に無いと思いますが って、万が一 誤爆した時は、山全体が崩れ落ちて 阿鼻召喚の土砂崩落地獄が作業現場を襲う事になる(怯) そんな場所に 今では薮に覆われてしまっていますが 階段が設置されていたりするので・・・ やっぱし、何かしらの建物が存在していた可能性は高い って言うか、階段が有るって事は 仮設事務所か、工事作業者の休憩所? に、しても・・・ この階段! あまりに角度が急すぎて そしてステップの幅も狭くて 厳寒期に雪が降った日には・・・(斜) そのまま崖下に いや? 当時は、植え込みとかしてないし 普通に岩肌が剥き出しの急斜面だったはずなので 間違って転落したら 全身を削られてズタボロになりながら 下にあるホッパーの中に 発破で砕かれた岩と一緒に・・・(怖) (って言うか最近、何故か画像が勝手に90°回転された表示されてしまう) その後の事は・・・ 想像するのが怖すぎて書けない!(怯) って言うか、その日の作業終了後に点呼を行ったら アレ?(滝汗) そして数日後 みたいな・・・ そう言った事故が無かった事を 心から祈りたい! なお! この建物なのか看板なのかが建っていた場所の奥には ちょっと離れた所に 公衆トイレ跡が有るんです が!(驚) なんと!!(迫) 写ってるんだよ 昭和28年の、工事中の写真に ちゃんと、崖側に出入口が開いてる建物が って、おトイレ 小河内ダム建設中から存在してた! ここにおトイレが! そう・・・ 発破作業現場の人達のおトイレ事情 一体どうなっていたのが ちょっと疑問に思っていたのですが ココに、ちゃんと まあ、大きい方と小さい方 各1つずつっぽいけど ココでスッキシすることが出来てた? って言うか、中身は既に掻き出してしまってるけど 1954年(昭和29年)頃 今から70年前の ココに・・・(黄) って、お食事中の皆様 ゴメンナサイ(平謝) まさかね・・・(滝汗) そんなに歴史の長いおトイレ跡だったとは!! って事を考えると 先ほどの石垣の上にあった そう 建物なのか? 看板なのか? 良く解らない建造物は やっぱし、仮設事務か休憩所だった可能性が? だとすると 厳しい作業現場で働く人たちの 唯一の憩いの場だったのかもしれない? この付近 で! 中でスッキシして 外に出て来て そこから眺める景色は・・・ いや! 当時は、岩肌と 発破で砕いた岩が転がるだけの急斜面 そして、現在は湖底となっている 200m近く直下にある多摩川の姿・・・ あまり生きた心地はしなかったかもしれない? いや 当時の職人さんとか 普通に、そんな危険な場所で働いてる って言うか、労基法とか そう言うの、現在の基準とは大きくかけ離れてたし 戦地から帰って来たばかりの人も多かったはずだから もっと凄惨な地獄を見て、心が乾き切っちゃってた来た人も多かったから 恐怖を感じなかった人もいるかもしれない?(焦) ちなみに 現在は、廃ハイキングコースとなってしまっていますが この公衆トイレ跡の奥にも 遊歩道が続いていたらしい? って言うか、昭和30年に撮られた写真には クッキリと道が写ってたりする 残念ながら・・・ 著作権の問題が有るので 勝手にコピペできないんですよね デジタルアーカイブに乗ってる画像は!! まあ、その事は置いといて! 一旦、来た道を戻ります って、この角度から見ると 右側の石垣の上 確かに小屋が2つ 建っていたとしても なんの違和感もないな? とりあえず、休憩時間に おトイレ済ませた後、ここでイップクとか・・・ いや? 当時の人は、結構普通に? 作業中に堂々とタバコ吸ってたりするから(焦) わざわざココまで来てとか そういう事はしなかったかもしれませんが? とは言え! マイトも、伸管が付いてなかければ着火しないからと言って 良い子はマネしちゃダメだけど、火のついたタバコを咥えながら取り扱ったって って、事はしてないよね?? 先ほどの分岐点まで戻って来ました ココからは一旦 上がってきた道とはも向かい側の遊歩道を降りて行きます 何度も九十九折って 索道の起点があった平場まで戻る遊歩道が付いています が! この結構辛い九十九折も 実は! 建設当時は存在してなかったッポイ? って言うか、昭和28年から30年の写真には・・・ じゃなくて、 こんな九十九折 ド素人の観光客のために造ってやったんだぜ! みたいな勢いで 当時の職人さんたちは まるで転げ落ちるような角度で 真っすぐ付けられた坂道を 落ちるような勢いで下って行ったらしい? いや・・・ この角度を直登させられてる、当時の作業員さんたち・・・ 思わず、斜面のトチューで とか・・・ 無理! 隠れるところが無いし 運悪く、ズボン降ろしたままの状態で崖下に!(転) で! その状態で発見されて救助されたとか できれば 当時、この付近でとった写真が公開されれば ね! どれだけ、凄い場所で作業していたのかが分かるのに!(悔) そして! とりあえず 観光客のために ココまで傾斜を緩くして造り直してくれた 当時の人達に感謝しないと? いけないのかもしれないけど? それにしても、急だよね? この遊歩道 で! こんな場所を 大行列を作って登っていた 昭和30年代から40年代の小学生 パネェ、身体能力の持ち主だったんだな?(笑) なんて事を考えつつ 索道の起点があった平場に戻って来ました そして次回 その施設跡に再び? つづく にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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