五木寛之「レッスン」とスイーツ2
本日のスイーツは、和風♪ 気温が上がらないので、ひんやりスイーツではなく、白玉だんごです。 本日の本とは取り合いが悪いのだけど、、、 白玉粉を少しの牛乳でこねて、チンかぼちゃもいれてよく捏ね、 みみたぶくらいの柔らかさに牛乳を足しながら調整します。 鍋にお湯をわかして、白玉をゆで、あんこをのせます (^_^)v 枝豆がでたら、ずんだ白玉もいいな。。♪ では、本題、 五木寛之 「レッスン」 前項の「哀しみの女」では、板倉が和美に、和美が章司に。。という設定でしたが、 「レッスン」では、佐伯伽耶とぼく、山口務、そして、田代杏子と女ふたりに男が一人 という組み合わせです。 男が女からレッスンを受けるという場合、ほとんど、先生である女性は非の打ち所の ない、美人が相場であって、この佐伯も違わず、美人で品があって、知識人 ジャガーを乗りこなし、ゴルフも上手、そして、何やら、翳のある女 と、先生の必要十分条件を兼ね備えている。 生徒の「ぼく」は純粋培養でちょっと荒削りの生徒の鑑 お金をかけて磨き上げられた女に手ほどきを受け、先生を尊敬以上の 敬い、すなわち、崇拝するようになってしまった男の行く末はどのようになるの だろうか。。 生徒と先生という立場は変わらないよね、二人の相対的な距離は少しずつ 縮まっていくかもしれないけど、まだ相当の開きがあると思う。 そういう状況では物語は結末しない。。 ので、これもお決まりの結末が用意されている。 非の打ち所のない女を消してしまうこと、それも一瞬のうちに、である。 失踪とかではなく、全てを消し去ってしまう。それも自ら死を選ばせるか 自動車事故などによるもので、それによって、女を結晶化させてしまうのだ。 「哀しみの女」の和美は男にとっては、どうこうできる女だった。 芯がしっかりしていても、手を伸べることのできる相手だった。 しかし、佐伯のような、男と対等か、それ以上の女の場合、 私はこのテの話をたくさん知っているわけではないけど、ほぼ、まちがいなく 女は死んでしまう。 これ以外の解決法はないものなのか、五木寛之をしても、この手法を取らざるを得ない のだろうか。。。 男にしてみれば、素敵な女性は永遠の存在にしておきたいのね。 男のロマンでしょうか、しかし、さらに踏み込んだ作品を私は期待したいな。 恋愛小説とあるけれど、人との付き合いというものは、多かれ少なかれ レッスンがつき物だと思う。 そうやって人間は成長していくものだと思う。 人間関係が希薄だといわれて久しくなる現代において、いまいちど、レッスンの意味を 再考してみないか、という問いかけのように思える作品でもあります。 それぞれが、自分を磨いて、それを伝えるということは、必要だと思う。 そうやって、素敵で魅力的な人間が育つのですものね。 このままでは、利己的遺伝子が生産中止宣言をしてしまって、 少子化がさらに加速するのではと思ってしまいます。飛躍してますが、、 いえ、これはセックス奨励ということではなくですよ。。。お分かりいただけると おもうのだけど。。。あ、、でもある意味、、そうなのか。。? 余談。。。 佐伯はXJ6に乗っているのですが、ジャガーは静かでいい車だと思う。 アルファロメオは確かに高速での走りになるとエンジンが管楽器のような音色を だすのよね。両方ともすきだなぁ。。 さて、女性作家が書く恋愛とは。。。 次回は、佐藤愛子「院長の恋」です。 85歳の彼女はこの本をもって小説にピリオドを打ちました。 そんな彼女の書く恋とはどんなものでしょうね。 明日は、佐藤愛子です。