カテゴリ:身近な社会問題
私の小さい頃は里山はきれいに手入れされていた。
里山は風呂やかまどの貴重な燃料源だった。 それが次第にガスや電気、灯油に変わってきた。 今は焚き木やまきを作る人はいなくなった。 昔はどこの家でも里山で炭を作っていた。 里山には松茸をはじめきのこの宝庫だった。 里山は家族で行くピクニックの場であった。 箸は父親がその辺の枝を切って作っていた。 里山は私たち子供の遊び場だった。 枝ぶりのいい木に紐をつけて隠れ家を作って遊んでいた。 遊び友達と敵と味方に分かれて、木の棒を振り回して闘って遊んでいた。 里山にある池で魚釣りをしていた。 今は里山は荒れ放題。 赤松は枯れて松茸は取れなくなった。 何より「いがいが」がいっぱいあって足を踏み入れることもできない。 またどこにマムシがいるか分からない。 猪や鹿などもたくさんいる。 スズメバチがいておいそれと山に入れなくなった。 今日里山のよさを復活させている人の番組を見た。 ほとんどお金を使っていないのに、アユの塩焼き、シカ肉のたたき、マイタケのチラシすしなど贅沢なものを食べていた。 今はお金、お金の世の中になった。毎日お金がないと生活できない。 お金さえあれば何でも食べれるし、なんでも手に入れることができる。 でも、昔に比べて、心豊かな生活をしているとはどうしても思えない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.06 19:27:11
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