カテゴリ:身近な社会問題
昔、王子製紙はサハリンでパルプを作っていたことがある。
そのとき王子製紙は、山から切り出した分だけは補って、ちゃんと木を植えていたという。 植林すると、ミネラルを多く含んだ豊かな土壌がつくられ、雨が降ったときに栄養のある水が海に流れ出るという。その結果魚が増える。 かってはオホーツク海では、植林によって魚が豊富にとれていたということである。 ところが、ソビエト連邦が占領してからというもの、木を切る一方で、まったく植林をしない。 そのためパルプも底をつき、オホーツク海の魚もあまり獲れなくなってしまった。 木を燃料にして建築レンガを焼いてきたヨーロッパでは、森林破壊が進んだ。 イギリスでは、16世紀から18世紀にかけて、森林の80パーセントが失われた。 ドイツでは、18世紀の半ばから終わりごろにかけて、フリードリヒ大王の時代に森林を大乱伐した。 その後ドイツ全土で干ばつ、大水害が起こり、全土が樹木が育たないステップと化したという。 今は不毛の砂漠地帯のレバノン、シリアは古代には、レバノン杉が林立していたという。 水も湧き出ていた。ところがその後、このレバノン杉を残らず伐採して船をつくり、大船団を擁して地中海で貿易をし、戦争を仕掛けて、地中海文明を作り上げていったという。 今や砂漠地帯のレバノンやシリアに森林地帯を復活させることは大変難しい。 そのおかげで彼らの子孫たちは、不毛の土地に生を受け、苦渋の生活を余儀なくされているのだ。 もしレバノン杉が守られていたならば、彼らの子孫たちの生活はどんなに変わっていただろうと思わずにはいられない。 (いい加減力 竹村健一 太陽企画出版 99ページより一部引用) 現在特に問題なのは世界有数のアマゾン川流域の大規模な森林破壊である。 衛星写真で確認するとその面積は着実に年々縮小している。 ここがイギリス、ドイツ、レバノン、シリアのような惨状を呈することは今や自明の事実だと言われている。アマゾン流域の熱帯雨林が丸裸にされたときに、果たして人類は生きながらえることができるだろうか。 一挙に樹木を伐採して、収奪するだけでは、自然環境は確実に破壊される。 土砂災害を招く軟弱な不毛の山に変貌するだけではなく、海の生き物にも悪影響を及ぼしているのである。地球全体の生態系に悪影響を及ぼしているのである。 本来の森林伐採は一挙に行うのではなく、ローテーションを組んで行う。 そして、伐採や焼き畑を行った後は、必ず植林を行う。 植林した木が育つまで手入れを怠たらないことが大切だ。 これは山で樹木を伐採して生活してきた人の当たり前の考え方だったのだ。 そうすれば人間と自然が共存でき、我々の子孫の繁栄にもつながるのである。 どうして人間は目先の利害得失に目を奪われて、自然をないがしろにするのだろうか。 自然を人間の意のままに支配しコントロールしていると、いつの間にか自然が人間に対して復讐を始めるということだろう。欲望の暴走は、やがて人類の滅亡という最悪のシナリオを思わずにはいられない。 森田理論で学ぶ「欲望と不安」という単元は、全人類が学んでいかなければならない大切な考え方であると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.07 17:54:12
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