考え方の誤り 実例編
認知の誤りについて具体例で見てゆきましょう。事例1森田先生が大切にされていた皿を落として割った。誤った考え方、行動きっと先生に叱られるだろう。そうなると怖い。だから自分はこの件は全く知らなかったことにしておこう。この皿を隠しておこう。ゴミと一緒に出してしまおうか。それとも正直に告白して、弁償してしまえばよい。それを見ていた人にも、見ていなかったことにしてもらおう。お願いしてみよう。それにしても自分はいつもそそっかしくて失敗ばかりをする。軽率な行動をとった自分が許せない。森田先生もこんな時は寛大になり、慰めて許してくれればいいのに。問題点この人は責任回避のことばかり考えている。割れた皿が壊れておしいことをしたという気持ちはない。自己防衛ばかりで見苦しい。事件が発覚しなければいい。分からなければよい。自分の責任追及を免れればいい。その結果、事実を隠したり捻じ曲げようとしている。また自己嫌悪に陥り、他者批判をしている。どうすればよかったのか初一念で行動する。しまった。取り返しがつかない。どうしようか。なんともいえない気まずい思いを十分に感じてみる。そのうち、割れた皿を片づける。先生に正直に報告する。そして謝る。なんともいえない感情を味わっていないと、次の行動には移れない。事例2自分の職場の同僚たちが女子社員全員を連れて居酒屋に繰り出した。ところが後でわかったのだが、自分だけのけものにされていた。謝った考え、行動無性に腹が立った。どうにも腹の虫が収まらない。どういう料簡なのだ。なぜ自分を無視するのだ。仕返しをしないと気がすまない。次の日の朝、同僚に悪態をついてしまった。そしてもう同僚たちとは口をきかないと決めて、だんまり戦術に出た。問題点爆発して一時的に楽にはなったが、人間関係がますます悪化してしまった。だんまり戦術も職場の雰囲気がますます悪くなった。一人孤立してしまった。そのうち、もうどうにでもなれという気持ちになった。こんな会社いつでもやめてやるという気持ちになった。自分の生活を左右するような大問題に発展した。実際には、こんなことで退職すると家族が路頭に迷うことになる。どうすればよかったのか自分だけのけものにされたというのは事実だ。どうしてのけものにされたのかその理由を知りたい。自分で思い浮かぶ理由はないか。ないことはない。考えてみれば、同僚や部下のことを思いやることが少ない。自分の思ったように仕事をテキパキとしていないと嫌味を言うことがある。また真面目だけが取り柄で、ジョークの一つも言えない。パチンコ、競馬、マージャンの話で盛り上がっている時に知らん顔をして仕事に取り組んでいるかのような態度をとっている。煙たがられているのかもしれない。考えられるのはそんなところだ。でも、自分の推測ばかりでは間違っているのかもしれない。後日分かったことは、飲み会は関連会社の営業マンから提案があったそうだ。関連会社の接待だったのだ。その時私には声かけをしないでほしいと言われたそうだ。仕事でお互いに険悪になったトラブルを抱えており、今は一緒に飲もうという雰囲気ではないと釘を刺されたそうだ。同僚たちもやむなく提案を受け入れて、こっそり出かけたそうだ。同僚たちには自分に対する悪気はなかったのだ。何だ。それなら自分もよく分かる。自分だってその人とは今は一緒に飲もうとは思わない。その事実が分かっていたら、同僚にあたり散らすことはなかった。でも後の祭りだ。かえってお誘いが無い方が好都合だったのに。それなのに、真実を知る努力をしないで、憶測で事実を作り上げ、それに基づいて行動してしまった。事実をつかまないうちに、見切り発車で行動してしまった。取り返しのつかない失態を演じてしまった。前提が間違った上の行動は、見当違いの方向に向かってゆきます。事実こそが神様だと思います。事実を軽視してはいけないのだと思います。蛇足ながら、寛大な同僚たちのおかげで会社はやめずにすみました。私は一旦嫌いになった人とは絶対に縁りを戻そうとは考えないのです。普通の人は、その時は嫌いになっても、後日また仲直りができるようです。融通がきくのです。うらやましいです。また私の考え方には、気分本位である。論理的飛躍があるというのも問題だと思いました。