河井寛次郎の「手考足思」について
10月号の生活の発見誌に帚木蓬生氏の「生きる力 森田正馬の15の提言」の紹介よりもう一つご紹介します。それは陶芸家の河井寛次郎が残した言葉「手考足思」です。手で考え、足で思う、陶芸家は、瞑想して作品作りをしているわけではありません。足でろくろを回し、手で粘土をこねているうちに器の形を成してきます。物事を観念的に考えがちな私たちには、この「手考足思」の言葉は、いつも肝に命じておくべき大切な言葉だと思います。私たち人間は言葉を持っています。重量5キロに及ぶ大脳を持っています。前頭前野で様々な分析や検討を繰り返し、これだという納得する結論を得て行動に着手しようとします。問題点や課題を頭の中で解決しておけば、目標や目的は達成できるはずだと考えています。ところが実際は頭で考えたことは、想定外の出来事によって裏切られることが多い。その時頭で考えたことが間違っていたのだと思えれば神経症に陥ることはありません。対人関係が悪化することもありません。実際には想定外の事実を受け入れられなくて、現実や事実と敵対するようになる。森田でいう「思想の矛盾」で苦しむことになるのです。こんな人は河井寛次郎氏の「手考足思」という言葉が参考になります。私は老人ホームの慰問活動でアルトサックスを吹いています。新しい曲を覚えるときは、前頭前野をフル回転して運指の確認が不可欠です。小節に区切って理性の部分で覚える作業が欠かせません。同じ曲を何回も繰り返して練習すると暗譜で演奏できるようになります。この時点では前頭前野は休憩している状態です。手先の動きは大脳の運動野や側頭葉からの指示によって無意識に動いています。予期不安が出てくることはありません。この方が上手に演奏できます。ちょっと考えると前頭前野が行動を上手に制御しているような錯覚に陥りますがそれは誤解です。練習の段階では100%の状態に仕上げることが大切になります。ちょっとでも不安な点を残して本番に臨むと、必ず前頭前野がでてきて不安を煽ってくるのです。そして頭が真っ白になり、身体が金縛りにあったようになり、肝心なところで失敗してしまうのです。また本番で100%完全な演奏を披露しなければいけないと考えていると、何とも言えない不安や緊張感に押しつぶされることになる経験をしています。これはドーパミン主導の報酬系神経回路が休眠状態で、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が頭の中を駆け巡っている状態だと思います。演奏に臨むときは、ポジティブな気持ちを持つことが肝心だと思います。私は練習で100%に仕上げて、本番では60%~80%の出来で合格点と考えています。とんでもない目標と思われるかもしれませんが、私にとっては不安対策として有効に作用しています。警戒していることは、80%の練習で100%の出来を期待してしまう自分の心です。イメージトレーニングでは「弱気は最大の敵だ」「お年寄りに笑顔を届けるぞ」「この慰問で今日1日笑顔で過ごしてもらうぞ」という気持ちを持って本番に入ります。