他人軸ではなく自分軸で生きるということ
根本裕幸氏のお話です。A君はおもてなしの好きな人です。あるとき、ホームパーティを企画して仲間を家に招き、みんなに前夜から作ったスープを振る舞いました。みんな「おいしい」といって、勧められるままお代わりをしました。用意したスープは空になりました。そのときA君の腹が「グー」と鳴りました。みんなの表情が一変しました。「え、お前は食べてなかったのか」A君は恥ずかしそうにお腹を押さえています。「いやいや、僕はもう昨日作りながら食べたから大丈夫」3回も4回もお代わりした人は申し訳なさそうな顔をしたまま言いました。「すまん、オレ、あまりにおいしいから3、4回もお代わりしちゃった、あれ、おまえの分だったのか」A君の接待は素晴らしい無償の愛のように見えます。自分のことは横に置いて、他人に尽くすことを最優先しているからです。でもA君だけが食べていなかったことを知った仲間の方からすると、少なからず「借り」ができたように感じたのです。罪悪感のようなものです。日本ではこういうことがよくあります。お母さんが「私はどうなっても構わない。子どもが立派に成長するためにできる限りのことをします」というようなことです。自分の感情や気持ちや欲求を抑えて、その分他人の感情や気持ちや欲求を最大限に優先するという考え方です。このような生き方をしている人は「自分軸」というものがないがしろにされている。絶えず他人の目を気にした「他人軸」で生きているのです。「他人軸」の生き方は、他人の思惑が気になります。絶えず他人の気持を忖度しているので大変疲れます。仲間外れにされて、孤立してしまうことが恐ろしくなります。非難、否定されることに耐えられなくなる。間違いを犯すことが怖い。失敗することが怖い。自分に自信が持てない。強みや長所については考えが及ばなくなる。弱点、欠点は隠すようになる。ごまかすようになる。気に添わないことでも、がまんして耐えている。相手からすると、自由にコントロールできる人だとみなしてしまう。エスカレートしてどんどん無理難題をけしかけてくる。最終的には支配―被支配の対立的な人間関係で苦しむようになってきます。相手を尊重するのはよいことですが、その前に自分の気持ち、意思、欲求をしっかりさせることが前提になければなりません。順序としては、その気持ちを持って相手の気持ち、意思、欲求を素直に聞いてみる。相手と自分の思いや考え方の違いを浮き彫りにする。その溝を埋めるために話し合いを行う。譲ったり、譲られたりしてなんとかバランスを維持することが人間関係の基本であるという認識を持っておくことが大事です。