森田の自助組織について思うこと
私は神経質性格者にとって、森田理論学習はとても大切なものだと思う。生涯学習として取り組んでいけば、素晴らしい人生は約束されたようなものである。私は日本の人口は約1億2,000万人であるから、少なくとも神経質性格者は1,500万人から2,000万人はおられるのではないかと推測している。その根拠は、森田先生が人間の性格を7種類に分類されておられることにある。その性格のために、小さなことにとらわれて生きづらさを感じている人が相当数おられると思う。それを極力少なく見積もって、 10%とすると、 150万人から200万人は、すぐにでも森田理論学習に取り組んで欲しい人である。必ず自分の人生にプラスになると思う。そのためには、森田理論はきちんと理論化されているので、自助組織に参加し、相互学習として学んだ方がよいと思う。これは1人ではなかなか難しい。また、継続することが困難だ。自助組織に参加していると、森田理論を正しく理解することができる。何よりも森田理論を活かしている人の貴重な体験談を聞くことができる。その恩恵ははかりしれないのである。以上の点から考えると、自助組織としては、少なくとも 10万規模のキャパシティーがあると考えている。少なくとも1万人から3万人規模の学習団体になる要素を、森田理論自体が含有していると考えています。現在日本最大の森田の自助組織でも2000人規模である。私の考える理想的な人数と現実には大きなギャップがある。今日はそのことについて考えてみたい。森田の自助組織が拡大していかない大きな原因は、50代以下の人たちに支持されていないことにある。それでは、そういう人たちに不安や悩みがないのであろうか。そんなことはことはない。私は現在60代だが、私が若い頃よりはもっと生きづらい時代になっていると思う。まず、仕事が安定しない。パートや派遣の仕事に就いている方が多く、収入も減少している。社会保障制度も十分ではない。そのため、結婚もままならない。仕事は能力主義、成果主義でノルマがきつすぎる。人間関係も希薄になり、人間同士のつながりが持てない。経済は横ばいが続いており、将来に明るい希望が持てない。高度経済成長時代と違い、頑張ればなんとかなる時代ではないのだ。うつや精神疾患で苦しんでいる人はとても多いのである。そういう人たちに対して、今のところ薬物療法、認知行動療法を始めとする精神療法が受け皿となっている。しかし、それらは対症療法であり、根本的な治療法ではない。最終的には生きづらさに真正面から取り組んでいる森田療法理論の学習に入ってこないと、残念な人生で終わってしまうのが目に見えていると思う。そういう受け皿としての森田の自助組織の責任は極めて重い。どこに問題があり、どう乗り越えていくべきなのだろうか。わくわくして、集談会に参加することが待ち遠しい。集談会は自分を成長させてくれる。生き方の指針を教えてくれる。温かい人間関係に身を置いて安心感がもてる。このような希望の持てる自助組織を作り上げていく必要がある。最近の学習会は、金太郎飴だと言われている。全国一律の学習の方法を設立当初から継続している。裏を返せばマンネリ化しているということである。新しい発想が生まれなくなると、刺激がなくなり、集談会の魅力は急になくなってくる。すると、参加することが苦痛になるのだ。以前の学習会は、活気があった。体験発表も多くの人が取り組んでいた。レクリエーションや野外学習会、 1泊学習会、懇親会なども盛んに行われていた。現在の参加者は少なくなってくるとともに、そうした活動は次第に姿を消し、形だけの学習会は細々と続けられている。ミニ体験発表、生活森田・応用森田ぐらいは、ぜひとも集談会のプログラムに取り入れたいものだが、それさえもままにならない。それから、新しい人が定着しないのは、信頼関係が形成されていないのに、やたらアドバイスをされる。森田理論を押し付けられるという意見を聞く。当然、信頼関係の形成は大事である。受容と共感、傾聴は、学習仲間として必要不可欠である。しかし、その上で、今現在悩みや葛藤を抱えている人に対しては、適切なアドバイスをすることは、もっと大事な事である。悩みを葛藤を抱えている人が、適切なアドバイスをしてもらえないと会に参加する意味が薄れる。やたらアドバイスや森田理論を押し付けられるというのは、悩みや葛藤を抱えている人を理解していないことからくると思う。相手の立場が十分に理解できれば、適切なアドバイスができ、相手から感謝されることになると思う。私たちは先輩会員として、適切なアドバイスができるように森田理論を深めていく必要があるのだと思う。そういうことが行われないと、傷を舐めあうだけの烏合の衆の集まりになると思うのだが、いかがであろうか。