高良先生が言われている「適応不安」について
高良武久先生は、「適応不安」ということを言われています。適応不安とは、自分の現在の心身の状態をもってしては環境に適応できないのではないかという不安です。就職して仕事がきちんとできるだろうか。リストラされることはないだろうか。職場で人とうまくやっていけるだろうか。こんな自分でも結婚できるだろうか。子どもをきちんと育てられるだろうか。経済的に自立できるだろうか。これから先のことに自信や確信が持てなくて、取り越し苦労しているのです。こんな不安は誰でも持っています。高良先生は、これは森田でいう「生の欲望」が強いからこうした不安がでてくるのだと指摘されています。不安と格闘するのではなく、不安の裏に隠れている「生の欲望の発揮」に向かって努力精進することが肝心であると言われています。理論としてはすっきりしているのですが、不安をそのまま受け入れることが難しい。生の欲望の発揮と言われても自分の欲望がよく分からない。この問題をアドラーの目的論で考えてみました。アドラーは、原因・結果論で考えていると問題解決には向かわないといいます。その人の行動には必ず目的があり、その目的を達成するためにいろんな理由を後付けで考えだしているというものです。その人の行動の目的、本音、潜在意識を分析して自覚を深めていくと真実が見えてくるというのです。この問題を私の例で考えてみました。私の場合、大学を卒業して訪問販売の仕事をしました。本音の部分では、人から軽蔑されるような仕事だけはやりたくない気持ちが強かった。他人から感謝される、評価されるような仕事をしたいと考えていました。自尊心が傷付くような仕事だけはパスしたい気持ちが強かったのです。ですから訪問販売の仕事は、「面白そうな仕事だ。ぜひやってみたい」という気持ちにはなれなかったのです。それが本音でした。最初うちは自分を叱咤激励してごまかしていた。しかし、5年くらいしてからは本音の部分が前面に出てきた。仕事をすることが辛くなり、仕事をさぼることが多くなっていった。本音や潜在意識を無視すると、後から後悔することになると思いました。仕事の数は12000種類くらいあると聞きました。その中からこれならできそうだという仕事を見つけた方がよいと思います。高校生、大学生になったら自分の一生をかける仕事探しを始めた方がよいというのが私の実感です。転職した会社では人間関係で苦しんだ。それは仕事仲間と助け合って仕事をするという意識が希薄だったからです。同僚は自分のプライドをかけて張り合う相手だと思っていた。ヨコの人間関係ではなく、タテの人間関係にこだわっていたのです。相手に負けることは恥だ。馬鹿にされるようなことは放置できない。歯には歯を、目には目をという気持ちで敵意丸出しでした。やられたらやり返す。復讐することを考えていたわけです。その反面相手につけ入るすきを与えないために、いつも防衛的になるわけです。耐えず人から傷つけられないように考えているので苦しいばかりです。今では勝ち負けにこだわるという考え方は人間関係を険悪にするものだと思っています。私の場合、このことが分かった時点で後の祭りだった。このことを現在会社勤めをしている人は、反面教師として活かしてもらいたいと思います。