☆好奇心が強いという特徴は優れものです
私は自己中心的で人間関係の持ち方がよく分からない。他人に迷惑ばかりかけて生きてきた人間です。また仕事で社会的責任を果たすという意識が希薄でした。とくかく楽をして給料をもらいつづけてきました。こういう人間は周りの人に敬遠されます。会社や社会に受け入れられて生きていくことが難しくなります。社会の嫌われ者として生きることは、針の筵に座らされているようなものです。早々に人生をあきらめて、この世からいなくなっていたとしても不思議ではありません。ではなぜそんな私が途中で人生を投げ出さないで、後期高齢者と言われる歳まで生き延びることができたのか。さらにボケずに寝たきりにならずに、100歳まで長生きすることを目指すようになったのか。そして「人間に生まれてきてよかった」と思えるようになったのか。こんな心境になれたことは、不思議と言えば不思議なことです。現在その理由は明確に説明できます。それはずばり好奇心が異常に強かったのです。興味と関心の幅がとても深く広かったのです。そのおかげで、挑戦してみたいこと、欲しいもの、分析してみたいこと、読んでみたい本、知りたいこと、行ってみたいところ、食べてみたいものが次から次へと出てきたのです。興味や関心が持てたものに対してはできるだけ積極的に関わってきました。例えば、私は2年間大阪に単身赴任していましたが、その2年間で大阪、京都、滋賀、奈良、和歌山、兵庫県のめぼしい神社、お寺、博物館、コンサート会場、観光地はほとんど回りました。土日、祝日は行ってみたいところにどんどん出かけていました。仕事には熱心に取り組むことはできませんでしたが、観光地、博物館、公園、コンサート、演芸、神社、お寺、工場見学、競馬場、スポーツ観戦、イベント、おいしい食べ物は十分に堪能しました。大阪在住の人が、地元の人よりも詳しくなっているとあきれ果てていました。現在は地元の芸能クラブに所属しています。オカリナ、傘踊り、しば天踊り、盆踊り、南京玉すだれなどをみんなで楽しんでいます。一人一芸にも凝っていて、アルトサックス、獅子舞、浪曲奇術、手品、皿回し、腹話術、どじょう掬いなども手掛けています。それを引っ提げて老人ホームの慰問活動や地域のイベント活動をしています。楽しい人間関係の中で、みんなに楽しみを与えられることは何物にも代えがたいことです。それと現在は自家用野菜作りに熱心に取り組んでいます。輪作体系や土つくりなどで工夫することが多く、また食べきれないほどの収穫物をおすそ分けするのがとても楽しいのです。このブログも毎日投稿して13年目に入りました。反省の多い人生を赤裸々に告白して、私と同じようなところで苦労している方に、参考にしてもらってよりよい人生を送ってもらいたいという目標が持てるようになりました。好奇心が異常に強いという特徴は、神経質者が共通して持っている特徴ではないかと思っています。その証拠にコンサートや興味があるイベントなどに行くと、よく集談会の仲間と遭遇します。人生で一番大切なことは、本人がよい人生だったと納得できるかどうかだと思っています。私は好奇心が旺盛でその方面ではやりたい放題の人生を生きてきました。その反面、良好な人間関係作りには失敗しました。敵を多く作り過ぎました、管理職としての統率力もマネージメント力もありませんでした。投げやりな仕事ぶりで、社会的に出世することもできませんでした。それでも楽しい人生を生きてきて、感謝の気持ちを持って、人生を締めくくることができるのかなと思っております。今では好奇心旺盛な人間に生んでくれた両親に感謝しております。