図書館で『シルクロード文明の旅』という文庫本を、手にしたのです。
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。
【シルクロード文明の旅】
加藤九祚著、中央公論社、1994年刊
<「BOOK」データベース>より
1989年から92年にかけて、文明の交流を基軸に西は黒海北岸のオデッサから東はサハリンまでを旅した記録。シベリア抑留以後、旧ソ連とアジア諸国を訪れること50回を越える著者の関心はシベリアと中央アジアの歴史、文化にとどまらず、ペレストロイカ末期の社会情勢、人間模様にまで及び、古代から現代に至る「シルクロード文明」を生き生きと描き出している。
<読む前の大使寸評>
先日読んだ椎名誠著『砂の海』の余勢を借りて、ちょっと古くなったけど、この本を借りたのです。
amazonシルクロード文明の旅
|
タクラマカン砂漠の南側、西域南道の旅を、見てみましょう。
p287~311
第四章 青海から西域南道の旅
以下は、1992年7月29日から8月18日まで、上海と北京を経由し、青海省の西寧から敦煌へ出、アルティン・ター山脈北側のクムダム砂漠を通ってチャルクリクに至り、そこから西域南道のオアシスを経てカシュガルに着くまでの旅に基いて書かれたものである。同行の仲間は27名であった。クムダム砂漠の雄大な景観が今も忘れられない。
■青海の民族
青海省の民族についてはプルジェワリスキーもポターニンも記述している。ここでは『青海掠影』によって簡単に紹介する。
青海省は多民族の地域で、少数民族の居住地域が省の総面積の約98%を占め、チベット族、回族、土族、サラル族、モンゴル族の五つが主力を占め、総数は1990年現在で164万2583人である。
・チベット族 81万1261人で、全省の人口の19.67%である。宗教はチベット仏教。生業は農業と半農半牧である。チベット語を話す。
・回族 56万4638人で、全省人口の13.69%である。商業に長じ、一部は野菜や青果の栽培に従事している。先祖は唐宋の時代にさかのぼり、元代以後明清にかけて多数この地域に移住した。チベット語と漢語を話す。スンニ派のイスラム教徒である。
・土族 14万350人で、全省人口の3.4%である。農業が主で、少数が牧畜業に従事している。土族の起源については議論があるが、中世初期の吐谷渾が他の民族と融合して形成されたとの説が有力である。言語はモンゴル系であるが、多数の方言に分かれる。宗教はチベット仏教である。
・サラル族 6万599人で、全省人口の1.6%である。主に農業、とくに果樹栽培に長じている。元代(13世紀)に循化地区の中央アジア系住民が移住して周囲の漢、回、モンゴルなどと混血したものといわれる。チュルク語を話すが、漢語も通じる。スンニ派のイスラム教徒である。
・モンゴル族 6万337人で、全省人口の1.47%である。主として16世紀にこの地方に移住した。言語はモンゴル語のエルート方言であるが、漢語、チベット語も通用する。牧畜と農耕に従事。宗教はチベット仏教。第14世ダライ・ラマと第10世パンチェン・ラマが青海生まれで、黄帽派隆盛のうえで大きな影響を与えた。
(中略)
ソグド文字
■ソグド人の活躍
敦煌の歴史をシルクロード文明から考えるとき、東イラン系のソグド人のことにふれないわけにはいかない。ソグド人の故地は言うまでもなく、中央アジアのサマルカンドを中心とする一帯である。5-8世紀頃、彼らは主に商人として中央アジアから東トルキスタンの敦厚、トウルファンをはじめ中国の各地に移住した。
伯勤の研究によれば、敦厚、トウルファンのソグド人には二種類あった。一つは登録ソグド人で、唐代中国住民の一員として、その商業活動は敦厚、トウルファンとそれら以東の地域に局限されていた。それに対し未登録ソグド人は、ソグディアナ本土や安西四鎮以東各地に往来できたという。
イギリスの学者プリーブランクは書いている。「ソグド人のすぐれた商人だけでなく、芸術家や職人、新宗教の担い手たちが旅行し、内陸アジアの商路沿いの地や中国の奥地、遊牧民のステップに住みついた」。彼らは現地住民の文化に大きな影響を与えたのである。
|
『シルクロード文明の旅』1
『砂の海』7