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カテゴリ:ジュンの回想
2014.1.4 ジュン ジュンが2歳ぐらいの頃だったか、夜の散歩を終え自宅マンションはもう目の前。 すぐ近くの公園には誰もいなかった。 こっそりリードを外した。 ジュンは喜び勇んで、広場をぐるぐる円を描き走り回り喜ぶ。 これには私も自分のことのように嬉しかった。 それからである。 なんとかジュンをノーリードで散歩したい。 夜の散歩が多いが、できるだけ人と車の往来の少ない散歩コースを探した。 散歩後、テレビを観る。 ジュンとの生活の中で、いつしか犬のいる風景を注目するようになっていた。 映画、ドキュメンタリー、ドラマ・・・ 東南アジアや南の島ではほとんどの犬は人の生活の中で放し飼い。 やせた犬が自由に闊歩している。 一方、「先進?文明社会」の中ではつながれている。 私の幼い頃、昭和20-30年代は名古屋の下町でも放し飼い。 犬は皆おとなしいものだった。 あるとき飼い主の分からない犬が数日間、うろちょろしていた。 私は一度だけの経験だが、「犬獲り」が車でやってきてその黒犬を捕まえた。 犬は恐怖と観念からか脱糞していた。惨めだった。哀れだった。 前後を確認して、人がいないのを確認してリードを外す。 人影を見つけたらリードをつなぐ。 ジュンには「車道に出ちゃだめだよ」と言い聞かせ、散歩道でリードを外す。 ジュンはおのずと私に寄り添い、時には遅れ時には先を行く。 先を小走りして、「ちゃんと始末してね」と排便する。 毎回挨拶する人は分かっているので、次第にそのままノーリード。 そのうち犬がだめな人、好きな人は遠目でも分かるようになってきた。 好きな人はジュンを触りたがったり、「抱いてもいいですか」と諒解を求めてくる。 中には勝手にジュンに別の名前をつけ、呼んだりする。 あるときは、後ろから「すいませーん」、「うちの子にわんちゃんを 触らせていただけませんか」と声をかけられたこともある。 小さな子供から触らせて下さいと申し込まれたことも多々あった。 シャイな子が親に頼んで「さわらせて」ということも多かった。 すべて私には嬉しくジュンは自慢の娘だった。 犬を怖がる大人・子供の存在は認める。しかし、私はそんな人を情けないと思う。 犬アレルギーのひとはしょうがない。 私は登山で熊に出会ったことはないが、カモシカや雷鳥、岩雀、 サンショウウオ等生き物に出会ったときは嬉しかったのだが・・・ 人を最優先にする社会だが、害のない生き物に先入観で 怖れを抱かれることにいささか残念な思いがする。 ジュンとの散歩で2度ほど「青大将」に出くわしたことがあった。 私は蛇が苦手である。 犬が苦手な人の気持ちは、私が蛇を怖れるのと同じなのかしら。 さて、犬のいる昔の風景。 忠犬ハチ公の2つめの銅像が先日お披露目された。 あのころ、ハチは大型犬で放し飼いにもかかわらず地域の人から愛されていた。 いい時代だった、と思わざるを得ない。 東大 赤門に設置されるそうな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.24 21:00:22
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