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カテゴリ:哲学
ここ数年忙しくて仕事中心の生活が続いていたこともあるけれど、 毎日出会う人間が限られていた。仕事以外のことで人と会う機会が極端に少なかった。 忙しさにかまけて、できるだけ一人の時間を持とうと思ったがそれもなかなか難しかった。 実際、食事と風呂とトイレと寝る以外は一人になることもなかった。 あるブログでは、「運気向上のためにはいろんな人と出会って、幸せの波を作ることが大切」というようなことが書かれていた。 感謝の気持ちを忘れず、人を恨まず憎まず、誰をも許す気持ちを大切に、そして愛される人になるためには、どんな人にも安心感を与えられる人になるということ。 「流れる水は腐らない」というけど今の自分は澱んだ水なのかもしれない。 「転石苔を生ぜず」というけど今の自分は苔だらけなのかもしれない。 ならば流れる水になろう。転がる石になろう。 旅に出ていた頃には、自分は常にオープンの状態だった。出会った人は誰とでも話せたし、すぐに親しくなることもできた。 出会う人たちからいろんなエナジーをもらうこともできた。そしてまた誰か出会った人にそのエナジーを分け与えることもできた。 幸運の女神様が自分のすぐ近くにいて、どんなチャンスにも敏感に反応できたのかもしれない。 幸せをつかむ人は、チャンスがめぐってきた時に、幸運の女神様の存在に気づき、すぐさま行動に移せる人。 幸せを逃してしまう人は、チャンス到来という時に、幸運の女神様がいることに気づかず、そのままやり過ごしてしまう人。 心のアンテナはいつもいろんなものをキャッチできるように感度をよくしておかなければならないし、 絶えず新しいものや情報や人と接することを心がけるべきなのだろう。 人生をマンネリズムの対象としないこと。 「明日は常に新しい日、何の失敗もない」(映画「赤毛のアン」から) 「ありふれてる今日を いとおしく生きたい せつなすぎる時間(とき)を いつか越えて めぐりあえた今を 大切にいきたい ずっとそばにいるわ どんな時も」(岡村孝子「TODAY」) 今日を昨日の続きだと思っていると、延々と同じ毎日が続くもの。 東の空に朝日が昇る時、新しい生命が誕生するかのように、この大地に命が吹き込まれる。 今日という日を生まれたばかりの最初の1日と思えるようにしよう。 今この一瞬は帰らぬ時間、この世で自分という命に与えられた限られたもの。 そして同じ時代を生きている人々に愛と慈しみの気持ちを持とう。今という時代を生きることの喜びを分かち合えるように。 石は転がり続けることでカドが取れ、やがて丸くなってくるもの。 永遠に転がり続ける石でありたい。 (Photo:オーストラリア ナラボー平原 1995年 南オーストラリア) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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