アイオワ・ボブの栄光と挫折
米・アイオワ州オークヴィル、1991年8月
*PART 1* 中西部における究極的単調さと自己のアイデンティティについての考察
アイオワ州に入る
ありふれた中西部の夏の午後、灼熱の太陽に照らされて、どこまでも続く地平線を追いかける日々。いったん町を出てしまえば大平原の風景に変化はほとんど見られない。豚小屋とトウモロコシ畑がそんな風景に唯一アクセントを添えてはくれているものの、単調なペダリングにはいい加減うんざりしていた。
鼻歌を歌ってみたり、生まれてから今までの自分の人生を振り返り、楽しかったことや悲しかったことを1つずつ思い返してみたり…。それでも24時間という時間は、地平線に向かって延びていくこの一本の道のように、延々と続いた。朝目覚めてから一言も他人と口を利かないことさえあったのだから。
6月1日、ロスアンジェルスに始まった大陸横断自転車旅行もまもなく90日目を迎えようとしていた。ロッキー山脈を越えてから大平原の旅が始まった訳だが、ロッキー越えの苦しさとは別の意味での苦しさを今体験している。それはこの『単調さ』である。
ロッキーにはアップダウンが適当にあって、苦しいなりに変化に富んだコースを楽しむことができた。ところが今はどうだ。大自然に囲まれてはいるものの、行けども行けどもそこから抜け出せない状態、まるでアリ地獄にはまってしまったアリのようである。
広大な土地(オープンスペース)が広がる中西部に、大洋に浮かぶ孤島にも似た小さな町が点在し、20世紀の高度文明を持った人々の暮らしが確実にそこには存在している。これもまたアメリカという大国のひとつの表情なのだ。
この究極的とも言える『単調さ(=monotony)』を甘んじて受け入れられる人々が中西部には少なからずいる。単調さとはある意味で純粋(=pure)、かつ無垢(むく)(=innocent)なものであるのかも知れない。
砂漠や平原が果てしなく続く中西部に暮らす人々は、その単調さに辟易(へきえき)することもなく、単調さそのものを自己のアイデンティティの一部として享受(きょうじゅ)しているに違いない。
『アイオワ・ボブ』も例にもれずそのひとりだった。ありふれた男子の名Robertのpet name『ボブ(=Bob)』だが、何人か道中で出会った他の『ボブ』と区別するためにあえて『アイオワ・ボブ』(写真下)と呼ぶことにしよう。
彼との出会いは、オークヴィルの町にたった一つあるスーパーマーケットだった。
彼はいきなり僕に「コンニチーハ」と日本語で挨拶をしてきた。なぜ、僕が日本人だと分かったのか?
僕が「こんにちは」と言い返す前に“You’re a Japanese, aren’t you(日本人だろ)?”と彼。
酒臭い息を吐きながら「トウキョウ・ゲイシャ・フジヤマ・カブキ」と自分の知っている日本語を羅列した。
アイオワ・ボブは生まれも育ちもオークヴィルの農夫だった。
海兵隊として第二次大戦後に日本に駐留していて、横須賀や岩国にもいたことがあるという。かつて日本人の妻を持ったのだが、その当時彼にはアメリカに別の妻がいた。
その日本人女性の写真を見せてもらった。彼女に何通か手紙を出して返事もきたらしいが、1952年以来音信不通だそうだ。たぶん彼女もちゃんとした家庭を持って幸せに暮らしているのだろう。
今では彼も3人目の妻に逃げられ、母親が全て異なる3人の子供の父親だ。60半ばにして、19歳の男の子、10歳の男の子、そして8歳の女の子を養育している。
彼の家に連れて行かれた僕はその子供たちの歓迎を受けた。
ボブはソファに腰を下ろした僕に、「飲め」と言わんばかりにバドワイザーを差し出した。
まだ日は高い。彼は既に出来上がっていた。彼に出会わなければきっと次の町まで走っていたことだろう。
彼は一方的にしゃべり、自身の経歴を包み隠さず話した。僕はただソファに腰を下ろし、彼の話に耳を傾けるだけだった。
「いいものをやるよ」
酔った勢いで彼が僕に差し出したのは拳銃だった。
ずしりとした重みを手に取って確かめたが、僕は既に全身に鳥肌が立っていた。
「弾(たま)は入ってねぇよ。必要ならKマートかどこかで買えばいい」
ボブはそう言って、ウイスキーの小ビンをラッパ飲みした。どうやらアル中気味のようである。
「こんなものもらっても…」
僕は戸惑った。
「いいんだ。俺はもう人は殺さねぇんだ。記念にとっておけ、いいみやげになるから」
(PART2につづく)