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<4/7のエントリーから続く>
コクトーの『占領下日記』には、マレーがローマにロケに行っている間にも持ち込まれる「彼を自分の映画に使いたい」という申し出の対処に苦慮している様子も書かれている。中にはバルザックなどの文芸作品もあった。 「ジャノはバルザック向きではない。スタンダールの若者でもない。ファブリス(スタンダールの『パルムの僧院』の主人公)でさえ間違いだろう。ジャノがワーテルローで途方にくれ、馬を取られて「泥棒! 泥棒!」などと悲鳴をあげる姿など、とても想像できたものではない」(コクトー『占領下日記』)。 ちなみにスタンダール作品で比類なき才能を発揮したのが、言わずと知れたジェラール・フィリップだ。 では、どんな役が合うのだろう? マレーの自伝にはコクトーの次のような言葉がのっている。 「君にはヒーローか、一大ラブ・ロマンスが似つかわしい。文芸作品がこの世に存在して以来、愛を主題とする傑作は『ロミオとジュリエット』と『トリスタンとイゾルデ』の2作しかない。『トリスタンとイゾルデ』こそ君のもので、君はトリスタンだ」(マレー自伝)。 そう、ジャン・マレーという人は、実際に騎士的な性格の持ち主だった。コクトーが手袋屋の鉄製の看板が気に入ると、店に出向いていって看板にぶら下がり、店主を根負けさせて譲ってもらう。夜の間に軍隊から抜け出して、こっそりコクトーに逢いに来る。アラン・ロブローから卑劣なペンの攻撃を受けると、自分の拳で殴り倒す。 コクトーは、親しくもてなしてきた友人から「レーモン・ラディゲを殺したのはコクトー。ラディゲがあるポーランド人女性と親密になったため、嫉妬したコクトーが毒をもった。ジャン・マレーもまた彼に殺されかけた(注:大病して舞台を降板したときのことを言っている)」などとデマを書き立てられ、それにショックを受けて数日間寝込んでしまったことがある。だが、マレーにはその本を読まないように懇願している。マレーが読んで、著者を「懲らしめに行く」のを心配したらしい。 こんなエピソードもあるからだ。ある日、コクトーが「過去の男友達」(苦笑)から暴力を受けて帰ってきた。マレーは誰にやられたかコクトーに白状させると、さっそく同じ目に遭わせるために出かけて行っている。コクトーがそうした一種のドメスティック・バイオレンスと無縁でなかったことは自伝的小説『白書』からも推察できる。だが、マレーを得てからは、愛憎の入り混じった暴力からはほぼ完全に解放され、以後、暴力的な性格の人間と付き合うことはなくなった。 コクトーはピカソのところへしばしば遊びに行っていた(ピカソが尋ねて来ることはほとんどなかったが・笑)が、ときどきしょげて戻ってくる。それは、たいていピカソがキツイことをコクトーに言ったときだった。ある日、非常に落ち込んだ様子のコクトーを見て、何を言われたのかとマレーが尋ねると、 「そんなことをしてやる価値もないような連中のために尽力することで、気を散らし、自分をダメにしている」 と非難されたという。そう、ピカソは孤高の天才で、ムダな他人との交流に時間をかけるようなタイプではなかった。一方コクトーは、ときには裏切られながらも友人との交流を何よりも大切に考えていた。ピカソとしてはアドバイスのつもりだったのかもしれない。だが、自分の生き方をキッパリと否定されたことが、コクトーにはショックだった。そんなコクトーをマレーはこんなふうに慰めている。 「ピカソだって、君の序文(注:コクトーはピカソの展覧会の序文などをよく手がけていた)に値しないような作品を描くこともあるよ」 マレーは、コクトーがピカソに対していだく尊敬の念と厚い友情に、しばしばピカソが背を向け、関心を払わないことを許しがたく感じていたようだ。マレーが80歳近くになってから出版した『私のジャン・コクトー』で「ピカソについて、ジャン・コクトー以上に鋭く、強く、美しく、激しくさえある文章を書いた人が誰かいるだろうか?」「(私は)ピカソという芸術家に対して敬意を払っているとはいえ、(コクトーに対するピカソの態度に関しては)彼を恨まずにはいられない」と書いている。マレーには相当冷たく見えたのだろう。あるいは、コクトーの性格や態度にはピカソのカンに障る何かがあったのかもしれない。 だが、コクトー自身は、ピカソの圧倒的な才能を誰よりも評価しており、「ピカソはその残酷な介入で僕の人生を何度か救ってくれた」と占領下日記に書いている。時に残酷でありながら的確なピカソの洞察力に一種の畏敬の念を感じていたのかもしれない。 コクトーのような複雑に屈折した心理はマレーにはない。コクトーはマレーを、「不幸という名の詩人(=自分)の友人を脅かす存在」だと言っており、マレー自身もそうありたいと望んでいた。コクトーが過去同棲状態になった若者はたいてい悩み多き文学青年だったから、マレーのようなまっすぐな性格を持ち合わせた存在はいなかった。マレーは常にコクトーを気づかい、ある意味、騎士のように仕えていた。コクトーはコクトーで、マレーを「僕の神、王、息子、友人、恋人よ」(マレーに捧げた秘密の詩)と呼んで崇めていた。ちなみに、公けにする文章の中では、マレーは自分の「息子」もしくは「友人」だと言っている。 『私のジャン・コクトー』には、モンパルシエ通りのアパルトマンに引っ越したばかりのころのマレーの屈託のない若者らしいエピソードも綴られている。アパルトマンに隣接したパレ・ロワイヤル庭園をマレーは、飼い犬のムールークとよく散歩した。いたずら好きのムールークはしばしば、庭番たちをかんかんに怒らせた。庭番たちはムールークがつながれ(アタッシュ)ていないという理由でマレーに違反通告書を書こうとした。するとマレーは「この犬は私になついて(アタッシュ)いますよ」と言って木によじ登り、通告書を切るならここまでおいでと言ってやった。コクトーが窓から、そんなマレーの姿を見て笑っていたという。 コクトーはどんなに心楽しく幸福な気持ちで、マレーのやんちゃを眺めていたことだろう! こうしたマレーの性格をコクトーが非常に愛していたのは疑う余地がないが、それ以上に、まずはコクトーを惹きつけたであろうマレーの身体的な特徴がある。それは『白書』に「アルフレッド」という名前を与えられて登場する。 「アルフレッドの肉体は私にとって、どこにでもいるような青年の「ピー(自主規制)」を備えた若い体というより、むしろ、私の夢がとらえた肉体だった。完璧な肉体。船が綱具を装備するように筋肉を装備し、四肢は1つの「ピー(自主規制)」を中心に星と広がるかのようである」 このアルフレッドの肉体こそ、若き日のジャン・マレーの肉体そのものではなかろうか。今風のジムで鍛えて作った筋肉ではない生来の筋肉を備え、ミケランジェロのダビデの系統をまっすぐに受け継ぐ彫刻的なたくましさ。『白書』はコクトーがマレーと出会う10年前に書かれたものだから、まったくの偶然なのだが、実はジャン・マレーが幼いころに別れた戸籍上の父はアルフレッド・マレーという。つまりコクトーのジャノは「私の夢がとらえた肉体」をもった「アルフレッド」の息子なのだ。 だが、マレー自身は自分の肉体美を売りにするつもりは毛頭なかったし、むしろそうした眼で見られるのを極端に嫌っていた。コクトーと出会ったころ、恩師のデュランから「裸のジゴロ役」を強要され、マレーは真剣に傷ついている。そう、騎士は自分のカラダを売ったりはしないのだ。マレーの映画2作目『天蓋つきベッド』を見たコクトーは、こんな感想を書いている。 「またしてもマレーには、資質を発揮する時間がなかった。当てにされるのを嫌っている身体的美点を乱用しているのみだ」(『占領下日記』より)。 でもまあ、あれだけの男性美を備えた肉体なのだから、ハダカにしたがる演出家の気持ちもワカル……(苦笑)。そういえば、コクトーの映画ではマレーはほとんど肌を露出していない。『双頭の鷲』の最初と最後で半ズボンをはいてるくらいがせいぜいで、むしろ常にストイックなくらいきっちり着込んでいる。 『白書』のアルフレッドは「私」と別れたときに髪を黒く染めていた。「アルフレッドの息子」マレーはコクトーと離れてイタリアにロケに行くために、やはり髪を黒く染めている。「私」がアルフレッドと別れたのは、アルフレッドが「私」の物をくすねたこと、「私」を脅迫して支配下に置こうとしたこと、そして最後にピストルをちらつかせたことが原因だった。「アルフレッドの息子」には、そうした卑しさや歪んだ支配欲は皆無。そして9ヶ月の不在ののち、イタリアから戻ってきている。 そして、戻ってきたマレーに対してコクトーは『悲恋(永劫回帰)』のために、ヒロイン役のマドレーヌ・ソローニュと同じ色の髪に染めるようにと美容院へ行かせている(監督じゃないのに・苦笑)。最終的な映像を見ると、2人の髪の色は明るい金髪のイメージに仕上がっているようが、それにいたるまでに、マレーとソローニュはブルーや薄紫や緑色の色の髪で美容院を出てくるハメになったという。 2人が同じ色の髪をしていたとは…… 言われてみればそのとおりだが、『悲恋(永劫回帰)』を最初に見たときは、まったく気づかなかった! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.04.10 01:49:28
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