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カテゴリ:Movie
<きのうから続く>
マレーがコクトーに、阿片のことは知っている、何も気にしなくていいと伝えると、コクトーは一瞬罰を恐れる子供のような眼をしたが、すぐにほっとしたようにマルヌのジャン・マレー邸に移ることを承知した。 マレーはコクトーを迎えるために、自宅を私設病院に変えるべく準備にかかった。フランシーヌは一度見舞いに来ただけだったが、娘のキャロルはコクトーにできる限り付き添った。 ある日、いつものようにマレーがやって来て、そっとコクトーの部屋の扉を開けると、キャロルがマレーの腕に飛び込んできた。 「ムッシュー・コクトーが、ムッシュー・コクトーが……」 マレーはキャロルをやさしく抱きとめた。彼女は泣いていた。 「プリンセス……」 映画のヒロインのように彼女を呼ぶ。それはキャロルが子供のころからの習慣だった。 「どうしたの」 「寝ながら、ときどき喘ぎ出すの。それから息が弱まって、長いこと呼吸が止まってしまうのよ」 マレーは眠っているコクトーの顔の上にかがみこんだ。 「大丈夫だよ」 安心させるように言う。 「普通に息をしている」 キャロルはマレーに抱えられるようにしながら、サロンに出た。 「ドゥードゥーは?」 「部屋で寝てるわ。まったく彼ときたら、眠りの森の美男よね。よくこんなときに延々と寝ていられること」 「君は? ちゃんと寝てる?」 「とても無理よ…… だって、ムッシュー・コクトーがこんなことになったのは、ママンのせいでしょう」 「まさか。仕事のせいだよ。――テレビのインタビューの仕事で、ジャンはひどく疲れてた」 「だって、1ヶ月ちょっとよ、ムッシュー・コクトーがサント・ソスピールを出てから。ママンがここまで彼を追い詰めたのよ」 「プリンセス、絶対にそんなことはないよ。お母さんを責めちゃだめだ」 「私とママンはこれまで何度も、ムッシュー・コクトーが友達だと思っていた人に裏切られるのを見てきた。そのたびに彼が苦しむのを見てきたのよ。それなのに、あろうことか、私のママンが同じことをするなんて……」 「……」 「年をとった女は惨めよね。昔のママンは、そりゃ輝いていた。――私の女神だったのよ。痩せてスタイルがよくて、美人で、少女のように純粋で……たくさんのハンサムな若者が、お金持ちの紳士が、才能のある男がママンに言い寄ってきたわ。それなのに、今はどう? 作家とは名ばかりのジゴロに夢中になって、これまでムッシュー・コクトーがママンに与えてくれた素敵なものを、全部捨ててしまったわ。あんな男と長続きするわけない――そして、次にママンに言い寄ってくる男はきっと、もっと醜くて、もっと貧乏で、もっと仕事のできない男なのよ」 キャロルは長い間胸にたまった思いをぶちまけた。 「パリに来る前に、サント・ソスピールに寄ったら、ママンの部屋に新しい天蓋つきのベッドが入っていた。天蓋の布はムッシュー・コクトーがママンのために描いた牧童の天井画を完全に覆ってしまっていたわ…… それを見たときの私のみじめな気持ちがわかる? 私はあの画が好きだった。やさしくママンを見守る牧童の眼は、それはそれは素晴らしいものだった。ママンは世界でたった1つしかないムッシュー・コクトーの芸術を犠牲にして、お金さえ出せば誰でも買える寝床を選んだのよ。あんまり愚かで、悲しくなるわ」 20歳そこそこの娘の激しい口調に、マレーはたじろいだ。マレーはキャロルが10歳になるかならないかのころから知っていた。南仏の別荘の庭を、犬と駆け回っていた天真爛漫な小さな女の子は、いつの間にかすっかり大人になっていた。 そしてキャロルはマレーの知らない話を始めた。 「今度のことは、マドモワゼル(=シャネルのこと)も一枚噛んでいるのよ」 「ココが?」 「私はね、本当を言うとマドワゼルの意地悪さが昔から嫌いだった。マドモワゼルはサント・ソスピールに来て、あらゆる人をこき下ろしていたわ。誰だって容赦しなかった。あんまり口汚くて、私は最初ひどくショックを受けたけど、ムッシュー・コクトーは大目に見てた。マドモワゼルの才能に敬意を払っていたからよ。――それなのに、彼女は、ママとムッシューが仲たがいをはじめたと知ったとたん、ママンにあることないこと吹き込み始めたのよ」 「……」 「去年だったか、私がママンを捜しに、カンボン通りのシャネルのブティックに行ったとき、彼女は私にまで毒々しい話をしたの。マドモワゼルは言ったわ――『あなたの年ではわからないことを教えてあげる。フランシーヌはジャン・コクトーの犠牲者なのよ。彼の手から逃げられるように、お母さんを助けてあげなけりゃダメ』って……それから、彼女はレイモン・ラディゲやジャン・デボルトやマルセル・キルといった名前をもちだして、私がまったく知らないような昔話をしたの。――彼らは全員ジャン・コクトーの犠牲者だって」 マレーはため息をついた。 「やれやれ、何を話したか知らないが――ココにも困ったものだね」 「でも、私は信じなかった。邪悪なカラボス妖精の昔話なんて。だって、あなたがいるもの。ムッシュー・コクトーは誰よりあなたを愛してる――あなたがサント・ソスピールに来ると、いつも彼は子供のように大はしゃぎだったわね――そして、あなたは栄光につつまれて、健康そのもので、誰の犠牲にもなっていないもの」 「そうだよ。ラディゲやデボルトやキルが――かつてジャンが愛した人々が、若くして不幸な死を遂げたのは事実さ。でも、それは偶然だよ。時代のせいだ。ジャンのせいじゃない」 「恩知らずなのはマドモワゼルのほうよ。ヴェズヴェレール夫人がココ・シャネルの顧客になったのは誰の紹介だと思っているの。ママンはあのブティックで、1年で家が1軒建つぐらい買い物をしたわ。それなのに、自分を紹介してくれた人の悪口を並べて、2人の仲を裂いて喜んでいる」 「プリンセス、ココはそういう悪趣味なところがあるんだよ。でも口が悪いだけだ。あれが、ココのストレス解消のようなものなんだよ。本気で聞くことはない」 「そうね。でも私は、もう絶対にココ・シャネルでは服は作らないわ」 「ディオールに行くといいよ。君に似合う服を仕立ててくれるさ。今度の君の誕生日にぼくがプレゼントしよう」 「じゃあ、赤と金の素敵なクチュールにして」 「赤と金?」 「そう、ジャン・マレーの色。――私を夢中にさせた、あなたの『痛み』の色よ……」 キャロルはマレーにいたずらっぽく微笑んだ。 <明日へ続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.09.05 07:01:46
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