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<きのうから続く>
コクトーは、自分の誕生日にミリィに戻ることに決めた。ちょうどそのすぐあとにマレーはちょっとしたイベントでパリを離れる仕事が入っていた。 7月に入ってすぐ、マレーの耳にオテル・ド・カスティーユが大々的な全面改装を行うという話が入ってきた。このホテルは、コクトーがマレーと暮らし始める前に住んでいたホテルで、2人には思い出の場所だった。コクトーにその話をすると、残念がった。 その翌日、コクトーはマレーにマドレーヌ広場19番地に2人で行ってみたいと言い出した。オテル・ド・カスティーユを出て、コクトーとマレーが初めて一緒に暮らしたアパルトマンがある場所だ。マレーはとまどった。サン・クルー公園から自分たちに向けられたカメラを思い出したのだ。だが、結局、コクトーをクルマに乗せてみずからハンドルを握り、パリの中心部に向かった。 マドレーヌ寺院の西にあるその場所は、昔のままだった。道に面して、赤みがかった灰色の石のポータルがあり、そこをくぐると小さな中庭のようなちょっとした空間が開ける。マレーは病み上がりのコクトーを支えるようにしてアーチ型のポータルを抜けた。 アパルトマンは中庭を取り囲むように建っていた。その1室をコクトーとマレーは並んで見上げた。懐かしさでマレーの胸は熱くなった。 「ここのサロンは、モンパンシエよりずっと広かったね」 とマレーが言った。 戦争が始まると、経済的に逼迫したコクトーはこのアパルトマン全体を暖房する費用すら捻出できなくなった。それでもっと狭いモンパンシエ通りのアパルトマンに移らざるをえなくなったのだ。 「そうだね」 「ダイニングもあったけど、結局一度も使わなかった……」 「最初は家具もなかったね」 「初めて2人で買ったのが、ベッド用のスプリングとマットレス2組だったっけ」 「イヴォンヌとガブリエル(=ガブリエル・ドルジア)が掛け布団とシーツと枕を持ってきてくれた」 「イヴォンヌはアンリ・バタイユ(=イヴォンヌ・ド・ブレの最初の夫)の遺した仕事机もくれたよ」 「ああ、そうだった」 そのイヴォンヌ・ド・ブレもすでにこの世を去ってしまった。 「ランプやテーブルは蚤の市で買ったし……」 「君はテーブルを白く塗って、ぼくの彩色デッサンを敷いてガラスをのせたっけ」 「ぼくらには椅子もなくて、君がどっかから見つけてきた椅子はひどかったよね、すわり心地最低」 「そしたら、ジャノ、君がシャンゼリゼ公園に探しに行くと言い張って、公園から鉄製の椅子を2つも頭にかざして運んできた。あのとき巡査が見ていたのに気づいていた?」 「もちろん。街娼もそばにいたよ」 「よく黙って見ていたよな」 「今じゃ、考えられない」 「そう、今では考えられない……」 「椅子におくクッションはぼくが作った――それから少しずつ家具が増えて…… 値の張るものは何もなかったけど、ここは他のどことも似ていない場所だった。本当に独特で、自由な雰囲気で……」 コクトーはマレーの手をきつく握り締めた。マレーは思わず周囲に眼を配ったが、幸い誰もいなかった。石壁の向こうからはひっきりなしに行きかうクルマの音が聞えてくる。道路も駐車場のようになってしまった。昔と大きく変わったといえば、そのことだっただろう。 コクトーは黙ってアパルトマンを見つめたまま、なかなか動こうとしなかった。 確かにこの場所から、2人のすべてが始まったのだ。 「……ジャン、行こうか」 とうとうマレーが言った。コクトーは頷き、なおもアパルトマンから視線をはずさないまま、ほとんど独り言のような小さな声で言った。 「ジャノ、ここは……ここだけは、ぼくたちだけの場所だ」 マレーは不吉な予感がよぎるのを感じた。 コクトーはもう歩き出していた。マレーは慌てて後を追った。 1963年7月5日――コクトーはドゥードゥーに付き添われ、救急車でミリィへ戻った。マレーは並木道の向こうに救急車が見えなくなるまで見送った。 コクトーが行ってしまうと、マレーはマルヌの家の門の壁にもたれ、頭をそらし、眼をつぶって、自分の両腕を抱えた。極限まで痩せてしまったコクトーの身体、蒼白な顔、常に薬と注射を必要とする毎日…… 私は死に、君は生きる、と思うと眼が醒める! これほどの恐怖が他にあろうか いつの日か、私の耳近くにもはや聞えなくなる 君の呼吸と君の鼓動が コクトーの詩が思わず口をついて出た。コクトーが重病に陥って以来、マレーはこの詩を何度となく諳んじて、そこに描かれた恐ろしい情景を自分が体験することのないよう、神に祈り続けてきた。コクトーは快復期にあるのだと、再び強く自分に言い聞かせた。 一方、みずから望んでミリィに戻ったコクトーだったが、いざマレーから離れるとすぐに寂しさが募り、さっそく手紙を書いている。 「1963年7月21日 君は遠く離れているし、永遠と思ってきたフランシーヌとの17年(注:本当はこの時点でほぼ14年)が、あとに廃虚しか残さぬというこの事態は、ぼくの心を、底の底からからっぽにし、ぼくを幽霊のようにしています。戻ったらすぐ電話をください。君にくちづけたい」「ぼくのジャノ、22日に戻るはずでしたね、早く連絡をください。かわいそうな君のジャン」 マレーもできるかぎりミリィに足を運び、コクトーに会っていた。夏になると、コクトーは南仏のフレジュに向かう。壁画制作のためだった。キャロルも南仏で夏を過ごしたが、サント・ソスピール荘に長居する気になれず、カマルグに小さな小屋を借り、そこで乗馬に興じたり、村祭りで騒いだりした。20歳を過ぎたばかりの娘は、母から離れた放埓な夏の休暇を謳歌した。キャロルの小屋はいつも同世代の友人でいっぱいで、朝眼が覚めると、行きずりの友人の誰が土間で雑魚寝をしているかわからない始末だった。 キャロルの小屋には電話がなかった。彼女は郵便局まで行って、フレジュのもう1人の兄、ドゥードゥーに電話をかけ、コクトーの様子を聞いていた。 「発作から完全に回復したとはいえないよ」 と、ドゥードゥー。 「すごく疲れやすいんだ。でも手を使って仕事をしている限り退屈しないんだって言ってるよ」 コクトーは9月に南仏からミリィに戻る。マレーのほうはちょうど9月にカンヌで数日のバカンスをセルジュと過ごした。セルジュは正式にマレーの養子となっていた。たまたまそこで会った知人に、 「息子のセルジュ」 と紹介すると、知人は 「君に息子がいたなんて知らなかったよ!」 と驚く。 その会話を近くで張っていた新聞記者が聞きつけ、取材を申し込まれて受けたところ、「ジャン・マレーの息子」の存在が写真入りで一面トップで伝えられた。初めのうち記者たちは、セルジュをマレーの隠し子だと勘違いしていた。母親は誰かと聞かれ、マレーは、 「彼女は結婚したばかりなので答えられない。いずれ全部わかるよ」 とだけ答えた。 その話を聞いたコクトーが送った手紙が、マレーへの最後の手紙となった。 「ミリィ 1963年9月6日 ぼくのジャノ 君が陽光のもとにいるのを知って嬉しい。君が新聞記者たちにあのように言ったのは正しいと思います」「フレジュの新しい家の間取りは気に入っています。建つまでのあいだ、別の家を借ります。転地して空気を変え、そのあと、雪のあるところに行くのがいいと思っています。こうした大騒ぎもすべて、魂をなくした世界のためというより、はるかに、君のため、ドゥードゥーのためなのです。君の秘書が電話をくれました。気分がよくなって、めまいが消え、両眼のジグザグがなくなったらこちらから連絡します。ぼくはカンヌをよく知っています。ですから、今も君たちと一緒にあそこを歩いています。眼を閉じて、行きたいところへ行って暮らすのが、ぼくは大好きです。息子さんによろしく、ぼくのかわりに君にキスするよう頼んでください。君のジャン」(『ジャン・マレーへの手紙』より) この手紙からほぼ1ヶ月後の10月11日朝、ミリィのコクトーの家では、電話が鳴り止まなかった。エディット・ピアフの死をうけて、コメントを求める記者たちからだった。家政婦はピアフの死を隠そうとするが、あまりに鳴り続ける電話に疑問をもったコクトーが自ら受話器を取ってしまう。そこで思わぬ訃報に接したコクトーは大きな衝撃を受け、午後のインタビューを記者に約束する。だが、昼過ぎにサロンで急に息切れの発作に襲われ、そのまま帰らぬ人となったのだ。 コクトーがマレーへの最後の手紙で「君たち――つまりマレーと養子のセルジュ――と一緒に歩いている」と書いたカンヌ。奇しくもそのカンヌで、1998年11月8日(その日はアラン・ドロンの誕生日でもある)に、ジャン・マレーは亡くなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.09.10 11:31:29
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