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カテゴリ:Travel(フランス)
フランス人の誰もが、死ぬまでに一度は行きたいと考えているというカルカッソンヌ。 一般には中世の城塞都市の優れた保存例として紹介されることが多い。ユネスコの世界遺産にももちろん登録されている。 今回行ってみたが、威風堂々たる城砦は圧巻で、確かに行く価値は大の街だと実感した。 こちらは歴史的城塞都市の入り口になっているナルボネーズ門。モンサンミッシェルもそうだが、カルカッソンヌの丘の上の城砦都市も外から見ているほうが「凄い」。まずは遠くから、塔を従えた古い城壁を見て感動する。そして、近づいてみてその大きさ、重厚さに圧倒される。 城壁の内部は「ラ・シテ」と呼ばれる、中世の雰囲気を湛えた旧市街。だが、ラ・シテの中に入ってしまうと城壁は見えないし、そこは要するにヨーロッパによくある古い街並みをお土産屋に作り変えた観光地。この印象もモンサンミッシェルに似ている。 二重になった城砦の間に立つと、群雄割拠の中世にタイムスリップしたような気分になる。敵の侵入を防ぐために中世人は、ここまで堅牢な建造物で街を囲ったのだ。 ラ・シテの中にある「伯爵の城」から見た景色。360度、実に見晴らしがいい。 これなら遠くからやってくる敵の軍隊もすぐに見つけることができただろう。今は、のどかな田園風景が広がるカルカッソンヌ。 「伯爵の城」の中庭から撮った城の壁面の一部。木組みと窓の配置がおもしろい。 城壁の近くでスペインのバルセロナから来たという陽気な学生グループに会った。 旧市街の店をひやかして歩くのも楽しかったのだが、やはりナルボネーズ門を出て振り返ったときが、「カルカッソンヌに来てよかった」と思える瞬間だ。 カルカッソンヌの城砦はいつできたのか? 最初に城壁が築かれたのは3世紀だという。13世紀に二重の城壁が作られた。 フムフム・・・確かに中世の城砦都市だ。だが、よくよく調べてみると、現在のカルカッソンヌを見て中世をイメージするのは間違いだということを知ることになる。 19世紀に撮られた写真を見ると、カルカッソンヌの城砦は上部がほとんど崩れ、壁しか残っていない状態だったのだ。 それを「修復」したのは、ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・デ・デュクという建築家。ところが、修復時に作られた尖り屋根は、フランス北部の様式で、カルカッソンヌ周辺にはないものだった。そのときに使われた屋根の素材もこの地方産のものではない。 これを果たして「修復」と呼べるのか? 様式まで変えてしまっても、「修復」なのだろうか? 常識的には中世の遺跡の上に中世風の城砦を「再建」しただけではないのか? カルカッソンヌで私たちが見ているのは、中世の城壁の上に近世になって築かれた、中世風の建築物に過ぎないのだ。そのせいか、1997年にユネスコにラ・シテが世界遺産として登録されたときの名称は、「歴史的城砦都市カルカッソンヌ」となっている。「中世」とは誰も言っていないのだ。 そして、とにもかくにもカルカッソンヌの「修復」は、のちの歴史的建造物の修復に大きな影響を与えたらしい。 あまりに荒廃がひどく、かつ古い時代の本当の姿がわからない遺跡というものは多いと思う。だが、もしオリジナルとは明らかに違う様式で「修復」してしまったら、それはそれとして、きちんと周知するのが当然だと思うのだが、どうもカルカッソンヌに関しては、そうした「屋根の話」はナイナイにしておいて、「中世最大規模の城塞都市」と宣伝ばかり大々的にされ、観光客の多くは、自分たちは中世城砦オリジナルの姿を見ていると勘違いしているように思う。 この態度は、非常に疑問だ。詐欺と言ったらいいすぎだが、誇大広告だと感じるのはMizumizuだけだろうか? あまりにきれいに「修復」され、返ってありがたくない歴史的建造物も世界には多い。それの端緒が19世紀のカルカッソンヌ修復だったということだろうか。インドネシアのボロブドゥールもそうだ。オランダ統治時代のボロブドゥール遺跡を見ると、上部は完全になくなってしまっていて、ハッキリ言ってしまえば、「もう崩壊してしまった遺跡」に過ぎない。それが今は、きれいに修復され、世界最大級の仏教遺跡として年間100万人もの観光客を集めている。 Mizumizuがボロブドゥールにもうひとつ食指が動かないのは、どう見ても「新しすぎる」から。円形壇上にある仏塔などは、まるでテーマパークの陳列物のようにさえ見える。 どこからどこまでがどの時代のもので、どこからがいつ修復(あるいは再建)したものか。それをわかりやすく周知する努力は一切払われることなく、ただ「ユネスコ世界遺産」を宣伝文句に、観光客を1人でも多く集めようとする。こうした経済活動が活発化すればするほど、歴史はきれいに塗り替えられ、遺跡がテーマパーク化していく。 カルカッソンヌもそうだ。作りかえられた中世の城塞都市を見て、観光客は歴史を学んだと思い込んで帰る。 ラ・シテを囲む城壁はたしかに規模が大きく、圧倒的な存在感を丘の上から放っていたが、だからと言ってこれを「修復された中世の遺産」と宣伝していいのか。そこにはどうしても同意できない。 駅前のホテルに泊まったMizumizu+Mizumizu母。夜ライトアップされた城壁を見たいと思っていたのだが、ストで4時間遅れになり、座れるはずの電車に1時間半立ちんぼだったこともあって、夕方ホテルに帰ってすぐに2人とも熟睡。夜景を見に出る体力は残っていなかった。 そこで朝タクシーで丘の下のヌフ橋(ポン・ヌフ)まで行ってみた。逆光だったが、このオード川のほとりは、ラ・シテを下から見るのにちょうどいい。 駅の近くのホテルから、ヌフ橋までは6ユーロ、ラ・シテまでは8ユーロ前後。 ヌフ橋からヴュー橋まで歩いてみた。このあたりのホテルに泊まれば、夜景が見られていいかもしれない。ただし、川沿いは人通りがなく、店もなく、夜出歩けるような雰囲気ではない。朝もひと気がなく、さびれた雰囲気だった。 カルカッソンヌのホテル選びは3つの地域的選択肢がある。 1 駅前 2 オード川に近く、ラ・シテを見上げる場所 3 ラ・シテ内部 Mizumizuたちは今回1の駅前にした。荷物をひきずって徒歩2分ほどなので、とても便利だった。だが、2の夜景を楽しめるホテルにしてもよかったかもしれない。駅まではタクシーで6~7ユーロ(荷物代を取られるかどうか知らないが、エクスアンプロバンスで取られなかったし、カルカッソンヌはさらに田舎でタクシーの感じもよかったので、今のところは取られないように思う)で行くだろうし。 3はあまりお奨めしない。ラ・シテの中はお土産物屋ばかりで夜には閉まってしまうし、なんといってもカルカッソンヌの魅力はラ・シテを「外から見ること」だから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.05.18 02:55:54
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