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評判は宣伝で作られる――以前、フィギュアの「表現力」について、ごく一部の選手だけをバカ上げする昨今の風潮をMizumizuはこのように批判したが、ジャッジ間の選手の評価にも、振付師やコーチのロビー活動の影があることが、チャンの発言でハッキリした。 フリーを終えて、1位になったあとのインタビュー。 http://web.icenetwork.com/news/article.jsp?ymd=20101030&content_id=15915706&vkey=ice_news Chan acknowledged his role as a judges' favorite, saying he's grateful to be recognized for his skating skills. "It's a good position to be in," he said. "I know [coach and choreographer] Lori [Nichol] speaks highly of me to judges, and I want to perform the way she says I can. チャンは彼(のパフォーマンス)がジャッジのお気に入りであるを認めたうえで、自分のスケート技術が認められているのは嬉しいと語った。 「いい立場にいると思うよ。(コーチであり振付師である)ローリー・ニコルは僕のことをいつもジャッジに褒めてくれているし、僕は彼女が僕にできるって言ってくれているような演技をしたいと思っている」。 またも、ローリー・ニコルなのだ。ローリー・ニコルが振付師として多忙を極めているのはご承知のとおり。世界のトップ選手がこぞって彼女に振付を依頼している。 もちろん、ニコルの世界観が魅力的であり、振付師として稀有な才能をもっていることは確かだろう。だが、このところのニコルの「儲けぶり」には、それ以上のもの・・・ルールとジャッジングに関わる「何か」を感じざるをえない。 ローリー・ニコルに振付けてもらうとレベルが取れる、評価が上がる――それは、単にニコルの才能のなせるわざなのだろうか? キム・ヨナの振付で名を上げたデビッド・ウィルソンも大忙しだ。今季はアボットのフリーも担当している。2人ともカナダ人。バンクーバーオリンピックをはさんで、なぜこうもカナダ人振付師の才能が開花するのか。 フィギュアの採点にからんでロビー活動があることは、日本ではあまりあからさまには言わないが、さすがにナイーブな日本人ファンもそうした活動が世界レベルのフィギュアの世界ではあること、そしてやり方次第でかなりモノを言うこともわかってきている。 こういう現実を知ってもなお、「ジャッジは誰に何を言われても影響されることはない。常に公平・公正に見ている」などと強弁する人がいるが、それならばなぜニコルがジャッジにチャンの宣伝をして回る必要があるのだろう? 李下に冠を正さず、特定の選手の振付師兼コーチがジャッジとそういったコンタクトを取ることは、元来慎むべきではないだろうか? 先日の繰り返しになるが、スペシャリストやジャッジの意見を伺うというのは日本選手だってやっている。問題はそういう審判からのインの部分ではなく、審判への働きかけ(言い換えれば宣伝)というアウトの部分なのだ。 欧米ではこんなことは、もう周知の事実と言っていいだろう。ジョニー・ウィアーではないが、フィギュアというのは政治的なスポーツなのだ。ウブな一部の日本人ファン(およびジャッジと個人的に関係のある者)が認めたがらないだけで。昔からそういう競技だったとも言える。スルツカヤもソルトレイク五輪(トリノではない)で勝ったのは自分だと今でも思っていると明言している。 だが、それにしても、昨今のフィギュアスケート界は一体どうしたことか。旧採点時代には順位点で見えなかったものが、実現不可能な理想主義的「絶対評価」で、返ってあからさまになってしまった。judges' favoriteだとか、ジャッジに対してspeaks highly だとか、堂々と記事に書いているところをみると、まさに「世も末」だと暗澹たる気分になる。 チャン選手も、そして同じようにjudges' favoriteだったキム選手も、素晴らしい選手であるにもかかわらず、「えこ贔屓」だとしか解釈できないような銀河点をもらうから、彼・彼女の熱心なファン以外の反感を買ってしまうのだ。 チャン選手のスケート技術が優れていることは確かだ。だが、小塚選手だって、チャン選手や高橋選手に負けない素晴らしいスケート技術をもっている。ストイコやブラウニングといった世界の一流スケーターもこぞって小塚選手の技術を絶賛している。 Mizumizu自身の評価で言えば、スケートの技術は、 1位 高橋 2位 小塚 3位 チャン という順位づけをしたい。これについては自分なりに根拠もあるつもりでいる。 チャン選手は確かにひと漕ぎでトップスピードに乗せ、そのスピードを維持したまま滑り、かつ深いエッジにのりながらも体勢を安定させたままターンすることができるのが素晴らしい。だが、高橋選手の凄さは、「スケーティングにおける自然な加速感」と「エッジ遣いの多彩さ」にあり、チャンのやや一本調子なスピード(およびスピードキープ)技術とは一線を画すと思う。 フィギュアでは、「自然な加速」というのに伝統的に重きを置いてきたと思うのだ。一生懸命に漕いでスピードを上げようとしているわけでもなく、しかも、途中でステップを挟むなどしてただ単に滑っているだけではないのに、高橋選手はまるでスキーヤーが雪上を疾走していくように伸び伸びと加速していく(たぶん、靴に加速動力装置をしこんでるな・笑)。こういうことのできる選手は世界中探してもほとんどいない。 高橋選手がターンしながら、スピードをあげてあっという間にジャッジ席の前を滑走していく姿などは、さかんに言われる「ステップ」の部分以上にMizumizuには魅力的に映る。去年のショート「eye」でもそうだった。ステップを入れながら風のようにジャッジ席のすぐそばを駆け抜けて行った。あの疾走感は比類ない。 今年はあまり感じないのだが、去年のショート「eye」では、身体を倒してバッククロスに入っていくときの姿勢(あの瞬間が大好きだった)や、バッククロスそのものの巧みさに見惚れた。高橋選手のスケーティングを見ていると、「氷と親和性がある」とでも表現したくなる。天才的に氷と仲良しな人なのだ。 小塚選手の伸びやかさもそれに負けない。高橋選手よりプロポーションに恵まれている分、素直でクリーンな滑りに大きさやダイナミズムが加わる。小塚選手の滑りには変なクセがなく、すべてが呼吸するように自然なので、誰でも見ていて気持ちよく彼と一緒に氷を滑っている気分になれるのではないか。「見ていて、伸びやかで気持ちよくなれる」――このすがすがしさが小塚選手のスケート技術の魅力だ。 高橋選手や小塚選手の「自然な加速感」がチャン選手には足りない。むしろ、「すぐにトップスピードにのせて、それをキープできる」というのがチャン選手の特長のように見える。それはそれで、もちろん素晴らしい技術だ。だが、膝の使い方が案外深くなく、それを上体を使ったオーバーな動きでカバーしようとするから、それが仇になって、動きに強引さやわざとらしさを感じる。 深い膝の使い方だったら、チャン選手よりも小塚選手のほうに見ごたえを感じる。特に力んでいるようには見えないのに、自然に加速し、きれいに体を返すことができる。素晴らしい技術だ。 ステップの多彩さについては、高橋選手の右に出る者はいないのではないか。今年のチャン選手は、ステップをかなり工夫してきたが、フリーのステップ構成はやはり、いくつかのパターンを組みかえているだけ・・・・・・という従来の印象が強い。 つらつら思いつくままに書いてみたが、結局のところは、選手のどういった長所をどの程度評価するかに主観や好みが入ることは否めないのだ。日本人だから日本人選手贔屓だと言われれば、それまでかもしれない。 だからこそ、演技構成点で「大差」をつけることは問題なのだ。そうやってジャッジの好みを肯定してしまえば、いつそのお好みが変わるかわからないではないか。 ところが今のフィギュアはそんなことはおかまいなし。「いいと思ったものはどんどん評価するように」とスーパーのレジ係は上から言われ、収入の多い有名振付師が自分の選手の素晴らしさをレジ係に宣伝して回る。 小塚選手のスケート技術がなぜ評価されないのか? 「ジャッジに褒めて回る人がいないから」。日本人選手が難しいことをしても点に反映されないのは? 「ジャッジに(それが難しいことだと)教えてあげる人がいないから」だとしたら、もはやジャッジの採点とは何ぞやという話になる。
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最終更新日
2010.11.02 14:45:21
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