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カテゴリ:報徳
支援者
38人 残り 13日 guest・・・・・・様 「「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版します。」の二宮尊徳の会です。 この度は、プロジェクトをご支援いただきまして誠にありがとうございます。 この5日ほど支援が止まっていただけに、ご支援有難く御礼申し上げます。 大日本報徳社の雑誌「報徳」11月号にも、クラウドファンディングの告知を載せていただきました。 報徳関係者だけでなく、全国の皆さんに広く、報徳社を創設した師父(指導者)の「報徳の精神」「報徳の実践」のなんたるかを知っていただきたいと、 出版した本は静岡県公共図書館及び大学図書館に寄贈します。 目標金額を超過して印刷冊数を増やし、全国の公共図書館に寄贈して、次の世代にまで伝えられればと考えます。 <本文> プロジェクトの進捗や状況については、プロジェクトページの「活動報告」にて投稿していきます。 目標金額達成のためプロジェクトのシェア等、支援者様のさらなるご協力をしていただけますと幸いです。 こちらのリンクをシェアいただければと思います。 https://camp-fire.jp/projects/view/623220 ☆「第9回報徳講座」で「静岡県報徳社事蹟」を紹介し、テキストとして「訳注静岡県報徳社事蹟」を出版する。クラウドファンディングで印刷・寄贈費用の資金支援を呼びかける・ これは一つは「成形の功徳」であり、「報徳の普及推進」を働くことにほかならない。 クラウドファンディングという形をとることによって、日本全国に報徳運動について知らせることができる。私たちの報徳の師父(指導者)の報徳の実践を知ることは、実は現在の私たちに「報徳の精神」「報徳の実践」を呼びかけることにほかならない。 「修身教授録」180頁 「成形の功徳」 さて今日はここに 成形の功徳 という語を掲げましたが、しかしこれだけでは諸君には、私が一体何を言おうとしているのか、おそらくその見当さえつきかねることだろうと思います。 ・・・ この題目で私の申したいと思うのは、すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現われないということです。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものだということです。 さてこのことは、この現実界のあらゆる方面に当てはまる事柄であって、その意味からは、この現実界における根本理法の一つとさえ言い得るかと思うほどです。それもまた当然のことと言いえるのは、そもそもこの現実界というものは、これをその顕れた面から申せば、有形の世界であり、有形の世界は、やがてまた成形の世界と言ってよいからです。 このように。現実界が有形界だとしたら、この地上に一つの新たな有形物を生み出すということは、それ自身確かに一つの善事であり、功徳のあることと言ってもよいわけです。 ・・・ 成形の功徳、すなわちすべて物事は、形にまとめることによって、始めて真の効果が生ずるものだということについて、最近私の経験した一つの実例を申してみましょう。 実は私一昨日専攻科の人達をつれて、今宮のスラム街の真ん中にある 徳風勤労学校 へ参観に参ったのであります。 そこは、諸君らも知らない人が多かろうと思いますが、貧しい人たちの子弟を集めて教育している特殊の学校であります。・・・ ところがその学校の校長先生は非常に熱心な尊徳翁の研究家であって、全校の教育は、まったく報徳精神によって行われているのです。・・・ 実地参観した私達一同も、非常に感慨に打たれたしだいであります。 (森先生は、引率した専攻科の生徒に感想文を書かせた。 当初、毛筆でもペンでもよいとしていたが、せっかくなら差し上げたいと和紙に書いてもらうことにし、ペンで書いた人には毛筆で書き直してもらうこととし、和綴じの専門職に綴じてもらった) 内容としてはそれほどのものでなくとも、本式に製本して差し上げればご覧をいただくにも便利で・・・・ ここにいわゆる「成形の功徳」ということがあるわけです。 同じく製本するにしても、専攻科で手工でやってもらうというみちもないではありません。・・・ しかし先方の方が、他からの参観者にでも見せたいと思われるような場合を考えて私は、結局本職の手で製本させたのです。 ・・・ 同じく綴じるにしても、素人の手ですましておくか、それとも本職の手にかけるかによって、そこには大きな相違が生じるとも言えましょう。すなわち同じ形を与えるにしても、そこにいかなる形を与えるかによって、内容は同じでも、その働きの上に相違を生じるわけです。ここがいわゆる「成形の功徳」というものであって、内容の上には何ら加えるところなくして、唯外から形を与えるだけのことでありながら、しかもそれによって、内容そのものを活殺する意味が出てくるのです。 ・・・ちゃんと表紙から目次をつけて、立派に製本しておくのとでは、同じ雑誌でありながら、実際に及ぼす効果は決して同じではないわけです。 これ私がここに、「成形の功徳」という言葉で言いあらわそうとしているものであって、そこには確かに功徳という言葉にふさわしい、ある種の不思議な力が働くとさえ言えましょう。 ・・・物に形を与え、物をとりまとめておくということが、いかに大なる意味をもつかということを、いまさらのように感じるのであります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.12 21:25:04
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