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カテゴリ:広井勇
広井勇〔後列左より3人目、ハンチングをかぶっている〕と小樽築港事務所所員 明治31年8月撮影
「小樽築港時代のシビルエンジニアー広井勇とその設計思想」 1ページ
小樽港北防波堤の建設が始まったのは明治30年(1897年)だった。 それ以前わが国における本格的な築港事業は、パーマーなどお雇い外国人の知識・経験・技術に依存せざるを得ない状況にあった。 それにもかかわらず、明治25年(1892年)には、パーマー指導の横浜築港工事においてコンクリートブロックに亀裂・崩壊が生じたことが発見され、築港事業を推し進めていた明治政府に大きな衝撃を与えた。 こういう状況の中で、日本人技術者が近代的な築港事業の調査・設計・施工全般にわたって指導することは、誰も想像できなかった。 2ページ • 「小樽港湾調査報文」は広井が小樽築港に先立って、小樽の気象、海象などを調査し、北垣国道北海道庁長官に提出した報告書である。わが国における先駆的な報告書である。 • 深浅測量、干満、温度、海底の地質、風浪、潮流等の調査とともに、試験工事による海底の積載力、捨石の挙動等、波浪の防波堤付近の海底における動作、波浪の高さ・長さ・速度・圧力の測定ならびにセメント及び抗張力試験等を実施し、それに基づいて築港の設計を行っている。
「小樽港湾調査報文」(浅田英淇現代語訳) 風浪 おおよそ、回浪は、旋回する角度によってその高さを異にする。 したがって、本港内に侵入する回浪は、各所でその高さに差がある。その一例として、明治28年12月29日に風速27メートルの西北風によって起った波浪の高さは左の通りである。 試験工事付近 4尺 立岩付近 9尺 本年1月21日、風速23メートル、北北東の強風のさい起った高浪は、左の通り、 試験工事付近 7尺 立岩付近 9尺 前後の強風は、その方向において67度半の差がある。そうして、試験工事付近のものに対して、左の割合で減殺された。 風向 減殺率 東北 0.69 北北東 0,75 北 0.67 北北西 0.57 北西 0.47 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.26 17:00:09
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