|
カテゴリ:広井勇
「山に向かいて目を挙ぐ 工学博士広井勇の生涯」 60-61ページ 「最良の教師(実験)に従って最良の書籍(天地万物)を習う妙法である」(「第2年報」)と語っている。 明治10年(1877)夏に行われた修学旅行で、ホイラーが率いる組は「室蘭港から寿都(すっつ)に至る黒松内新道位置選定」の使命をおびていた。これは彼が道庁から要請された調査業務の現場出張としての役割を併せ持ったものであった。太平洋側から日本海側にかけての北海道の一大原野で行われたため、兵学の野営教育の意味も持っていたこの大旅行は「実地に学ぶ」札幌農学校の方針をよく現したものである。25歳の青年教師は土木技術者としての評価は高かった。第2期卒業生の一人(新渡戸稲造とされる)は以下のように懐古する。 「ことに吾等の敬服せしは、ホイラーという人という人にて、数学・土木学の専門教師なりき。・・・・・かつ此先生は事務にも長じ、農学校のことはいうに及ばず、開拓使の命を受けて鉄道選定、道路見込みなどにも従事せし時にも、人の使い方といい、復命書の議論の立て方といい、又文章の規律の正しきことといい、今更懐古すれば、クラークを除きては、外国教師中この人の右に出づるはなかるべし」(「北大百年史編集ニュース」第2号)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.08.12 00:00:18
[広井勇] カテゴリの最新記事
|