341796 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

MM2022のブログ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

MW2022

MW2022

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

日記/記事の投稿

コメント新着

天国にいるおじいちゃん@ Re:打席に入る前に、バットを天にかざして、天国にいるおじいちゃんに『力を貸してくれ』(08/24) 天国にいるおじいちゃんについては、 089…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.08.12
XML
カテゴリ:広井勇

「山に向かいて目を挙ぐ 工学博士広井勇の生涯」

60-61ページ
《明治の画いた夢》│26号 クールにホットな2107:機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター
  札幌農学校創設時の明治10年代のカリキュラムによれば、4年間の修学期間中、語学と農学それに兵学が全期にわたって教授され、教育方針の基本が明確化されている。化学、数学の基礎理論を前期で行い、中期は図画法を集中して教授したり、生物学や化学実験の講義を行う。後期は応用的な工学などの学問と歴史・経済などの人文科目が配置されている。特に数学の実践として測量・器械の図画法に多くの時間をさいているのが特徴である。一日の科目の配置では、教室での講義を午前中に、午後からは製図の作業や野外での農業実習・測量実習、兵学(軍事教練)にあてられるのが一般的であった。この他、夏期休暇中に行われた測量や動植物採集の「調査遠征」があげられる。この修学旅行の意図としてホイラーは

最良の教師(実験)に従って最良の書籍(天地万物)を習う妙法である」(「第2年報」)と語っている。

 明治10年(1877)夏に行われた修学旅行で、ホイラーが率いる組は「室蘭港から寿都(すっつ)に至る黒松内新道位置選定」の使命をおびていた。これは彼が道庁から要請された調査業務の現場出張としての役割を併せ持ったものであった。太平洋側から日本海側にかけての北海道の一大原野で行われたため、兵学の野営教育の意味も持っていたこの大旅行は「実地に学ぶ」札幌農学校の方針をよく現したものである。25歳の青年教師は土木技術者としての評価は高かった。第2期卒業生の一人(新渡戸稲造とされる)は以下のように懐古する。

「ことに吾等の敬服せしは、ホイラーという人という人にて、数学・土木学の専門教師なりき。・・・・・かつ此先生は事務にも長じ、農学校のことはいうに及ばず、開拓使の命を受けて鉄道選定、道路見込みなどにも従事せし時にも、人の使い方といい、復命書の議論の立て方といい、又文章の規律の正しきことといい、今更懐古すれば、クラークを除きては、外国教師中この人の右に出づるはなかるべし」(「北大百年史編集ニュース」第2号)。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.08.12 00:00:18



© Rakuten Group, Inc.