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2023.08.19
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カテゴリ:イマジン
日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった...「自分の利益より他人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果がヤバすぎた
8/19(土)

日本人が意地悪であるということを、大阪大学社会経済研究所はあるゲームを用いて科学的に証明した。そのゲームのルールは次の通りだ。なお参加者は筑波大学の学生である。

 ペアになり、双方で10ドルずつ所持し、それぞれカネを出し合う。出した金額の1.5倍を互いに等しく受け取ることができる。例えば、双方が10ドルずつ出し合えば、最終的に手元に残る金額はともに30ドル。片方が0ドルで、もう片方が10ドルならば、前者が25ドル、後者が15ドルとなる。ともに1ドルも出さなければ、双方の手元に10ドルが残るだけだ。

 このゲームを行った京都先端科学大学特任教授の西條辰義氏が解説する。

 「このゲームでは相手がどの金額を出しても、自分は10ドル出すことがベストな戦略になります。出した金額の1.5倍は確実に返ってくるからです。しかし、10ドルよりも少ないおカネを出すことで、自分のもらうおカネが減るものの、相手よりも多くのカネを得ようとしたのです。この結果に驚きました」

学生たちは自分が損してでも相手より優位に立つことを選んだのだ。西條氏は続いて、同じようなゲームを日本の筑波大学と都立大学、アメリカの南カリフォルニア大学とパーデュー大学で行い、異なる文化圏でどのような変化が出るかを調査した。

 今回は金額を出す前にまず投資への参加、不参加を選び、それを表明するというルールも追加した。この結果、相手が不参加で、自分が参加となった場合、自分の拠出する金額を抑えることで、想定の相手の取り分を半分以下にまで減らす行動を取った。つまり、損を承知で相手のタダ乗りに制裁を加えたのだ。

 ゲームの経過や利得に関する具体的な数値は煩雑なため省略するが、このゲームで日本人のほうがアメリカ人に比べて明らかに意地悪な行動を選びやすいということが分かった。自分だけ参加を表明したとき、ほかの不参加者の利益を下げるため投資額を下げる選択をした人の割合は、南カリフォルニア大学では12%なのに対し、筑波大学では63%。都立大学とパーデュー大学の比較でも同じ傾向が見られたという。西條氏が続ける。

日本人は自分がもっとも得をするようには行動せず、自分が得をすることよりも、相手のタダ乗りを許さずに、少しでも相手の足を引っ張ろうとする傾向があります。
こうした経験をしてしまうと、タダ乗りを狙っていた人も次回からは参加せざるを得なくなる。
したがって、日本の社会では、みんなが仲良く協力的に事に当たっているのではなく、協力しないと罰を受けると分かっているから協力せざるを得ない社会だということが示唆されます」

人類史における悪意の起源はギリシア神話にまで遡るとされる。トロイア戦争の英雄アキレスは、ギリシア軍総大将アガメムノーンに自分の奴隷を奪われた腹いせに、同じギリシア軍でありながら、アガメムノーンへの協力を拒んだ。しかしその結果、戦況が傾き、アキレスは戦争に参加していた親友のパトロクロスを失う。

ユダヤ人に古くから伝わる民間伝承にも悪意の起源を見ることができる。魔法使いがある男に「願いごとを一つ叶える」と持ちかける。ただし、条件として「あなたの大嫌いな隣人にはその倍の願いごとを叶える」と言う。そこで彼は「片方の目を盲目にしてほしい」と願った。

2つの物語に共通しているのは、悪意は相手に害を与えると同時に、その過程で自分にも害が及ぶリスクがある行動であるということ。かのアリストテレスが定義したように、悪意とは「自分が得するためではなく、相手が得しないように邪魔すること」なのだ。

「悪意で提案を拒否した(罰を与えた)人には2種類いる」と語るのは、ダブリン大学トリニティ・カレッジのサイモン・マッカーシー=ジョーンズ准教授だ。
大阪明星学園図書館 ホーム

悪意の科学 意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?』の著者で、心理学の世界的権威である。

「一つは平等主義によるもので、不公平に対する怒りや正義を振りかざす快楽などの感情によって引き起こされたもの。これを『反支配的悪意』と呼び、彼らは提案者になった時には5:5の公平な提案をします。

もう一方は、人より優位でありたい、得したいという『支配的悪意』を持つ人で、提案側に回った際は不公平な提案をすることが分かっています

「悪意は決して非協力的な人を是正するためではなく、相手を陥れ、自分を押し上げて相対的優位を獲得するために進化してきた。悪意ある罰により、公平性が推進されたことはあくまで副産物なのです。それを人間は上手く利用してきた。しかし、いつしか人間は罰を与えること自体が美徳であると思い込んでいると私は考えています」

「人間の脳は社会の規律を乱す人を罰することを奨励するようにできています。実際、人を罰するとき、脳内ではコカイン中毒者と同じような反応を示すことが分かっています。この状態のことを『正義中毒』と呼びます。同時に脳が罰の対象者を人間以下の存在であると錯覚させる『知覚的非人間化』を行い、人間をより悪意ある行動、罰へと向かわせるのです」(ジョーンズ氏)

日本人はこの『正義中毒』に陥りやすいことが医学的にも分かっている。日本人は「不安遺伝子」と呼ばれるセロトニントランスポーターSS型を持つ人の比率が、他の国に比べて圧倒的に高い
#4:Serotonin | ERIKA
セロトニントランスポーターとは、精神の安定に作用する神経伝達物質、セロトニンの濃度調節を行っているタンパク質です。セロトニントランスポーターの少ない人はセロトニン不足に陥りやすく、抑うつや、満足感を得られず不安行動をとるといった症状に結び付く傾向があります。セロトニントランスポーターを持つ数が最も少ない遺伝子はSS型と呼ばれ、日本人は国際的にも高い割合でSS型だとされています。

SS型は不安を感じやすいだけではなく、他人に対して言葉による攻撃をしやすい傾向にあることも分かっています。つまり、遺伝子的にも日本人は他人に与える罰が過激になりやすいと言えるのです」

「SNSの大きな特徴の一つに発信者の匿名性があります。基本的に発信者を特定するのが難しく、報復を受ける恐れが少ないことで誹謗中傷が過激になりやすくなります。また、視覚的匿名性も担保されています。これは相手が見えないということです。日常的なコミュニケーションでは、相手の表情や言葉による反応があるので攻撃的な言葉は抑制的になる。しかし、SNSでは相手がその場にいないので、心理的に叩きやすくなるのです」(『悪意の心理学』の著書がある心理学者の岡本真一郎氏)

間違いを犯した人間を引きずり下ろそうという行為は、反支配的悪意によるものです。ですが、SNSでは自分より社会的地位の高い人間を傷つけるための書き込みをすると、しばしば『いいね!』などといった形で称賛されます。ネットという空間で正義の執行による快感が肯定され、相対的に自分の地位が上がったように感じられます。つまり、社会的正義を守るという反支配的悪意を装った支配的悪意が働いているのです。ネットで誹謗中傷をする人のモチベーションを突き詰めると、他人の承認を得ることに尽きるでしょう」(前出・ジョーンズ氏)

💛鏡の技法 を考えさせられる。
楽天ブックス: 〈からだ〉の声を聞きなさい(2)新装版 - リズ・ブルボー - 9784892952371 : 本

「鏡の技法」は、「<からだ>の声を聞きなさい2」(リズ・ブルボー)の200ページに載る。

「鏡の技法」から

・他者を自分の鏡とみなす、という方法を私(Lise Bourbeau)はずっと教えていますが、いまだにこの方法の素晴らしさを毎日確認し続けています。
2000年前に、イエスは
あなたはひとの目の中にある塵は見えても、自分の目の中の梁は見えない[聖書マタイ伝7-3]」と言われた。
私たちは他人の中に欠点を見るが、本当はそれは自分自身の欠点であり、しかもそれは他人よりはるかに凄まじいということを教えようとされたのです。

・私はこれまで様々な<気づきの技法>を学んできましたが、自分がどんな人間であるのか気づくためには、この鏡の技法にまさるものはないと断言できます。
この技法は最も効果的で、最も即効性がある、といってよいでしょう。

・自分のある側面を変えるためには、まず<それ>が自分にある、と気づかなくてはなりません。あなたが外的世界で体験することはすべてあなたの内面のプロセスの反映です。
したがってあなたが他者のうちに見るものはすべてあなた自身の反映だと知ると、世界がまったく違ってみえてきます。

・あなたは今。鏡の前にいると思ってください。
あなたは鏡に映った自分を見ます。そこに映っている姿は、あなた自身の姿です。
そこに映っている太った自分、あるいは肌の荒れた自分が気にいらないからといって、鏡に腹を立てたり、鏡を壊したり、鏡を捨てたりしても、あなた自身の現状は何一つ変わりません。
以上のことを受け入れてください。

・ほとんどの人が、自分を映し出してくれている<相手>を変えようとしますが、これは鏡を変えようとすることと同じなのです。鏡はあなたの体の各部分を正確に映し出します。
あなたが嫌っている部分、受け入れていない部分もそのまま映し出します。
あなたが相手を変えたいと思っているとしたら、あなたは自分にあるその部分を受け入れていないのです。

・鏡の技法を使えば、あなたの心の内であなたが受け入れていない部分、受け入れている部分に気づくことが可能になります。
あなたが他人の振舞いを見て、嫌な気持ちになるとしたら、あなたもまた同じような側面を持っており、しかもそれを受け入れることができていない、ということになります。

・あなたの身近にいる人を観察してみましょう。もしその人が、誰かのことを無礼な人間だと批判した場合、その人の振舞いを観察すれば、その人自身が無礼であることが分かるでしょう。人がしゃべっているのをさえぎったり、頼まれないのに押し付けがましく忠告したり、何かを図々しく要求しているでしょう。要するにその人もその人なりに無礼なのです。
私たちは、自分が批判している当の振舞いを自分自身もしているのですが、そのことに全然気がつかず、人に注意されると勝手な理屈をつけて自己正当化しているのです。

・誰かを善や悪、正や邪によって批判したり裁いたりしているとき、少し立ち止まって<鏡の技法>を使ってみてください。こう自問するのです。
「私もあんなふうに振舞っているのではないだろうか?」
心を開いて、自分を率直に見つめる決意をした人ならば、必ず自分もまた同じような振舞いをしていることに気づくはずです。そんな自分を受け入れるためには、まず自分がそうした振舞いをした理由に気づかなければなりません。
たとえば他者に本心を言わないときは、その背後には常におそれがあります。
自分が本心を言わないときの意図に気づくとき、相手が本心を言わないときの意図も大体分かるはずです。するとあなたは自分自身と相手に対して優しく接することができるようになるでしょう。でも、「次から本当のことをいわなきゃ」と思わないでください。自分が本心を言っていないことに気づけば、その背後の恐れも直視できるようになります。無理やり自分を変えようとすると必ず失敗するものです。自分のありのままの姿を完全に認めることが大切です。それによって初めて自分を変えようとするエネルギーがわいて来ます。
まず自分をよい存在だと認めること、本当の変容はその後に始まります。

・この技法を使うと<相反する性格の者同士は惹かれあう>という表現が本当に意味するところもわかります。<鏡の技法>を使うと、そういう二人は、本当は相反する性格を持っているのではなく、本質的には同じ性格であり、表現の仕方が異なっているだけだと気づきます。
表面上、相反する性格を持っているように見えるだけなのです。その場合、二人とも本当の自分を抑圧しており、自分に対して自分自身であることを許していません。
ご主人がしまり屋で奥さんが浪費家という組み合わせがあります。ご主人が奥さんをいくら説得しても奥さんは浪費をやめません。一見すると二人は正反対のようですが、実は二人ともお金に対する不安を隠し持っているのです。奥さんはこの不安を抑圧しており、その不安が表面意識に上がってくるのを許さず、まるでそうした不安を持っていないかのように振舞うのです。一方ご主人はお金に対する不安を意識しており、そのために極めて慎重に理性的に振舞うのです。お金を使うことをなるべく避け、無駄なものは一切買いません。
つまり二人ともお金に対する不安を持っているのですが、その表現の表れ方が異なっているのです。二人はお互いに相手が抑圧している部分を教えあっているのです。お互いが鏡の技法を使えば二人にとっての中道を見いだすことができるでしょう。カップルの場合、それぞれが相手を変えようとしたり批難したりせずに、その関係を自分の意識を拡大するためのきっかけとして使えば有益なものとなります。
鏡に映る相手は実はあなたの心の中にある疑いや恐れを拡大して見せているのです。あなたが自分の心の一部を無視し続ける限り、それは勢力を増してあなたを支配し続けます。

・あなたが他人をどう見るかが、あなたの心のありさまを反映していることを気づく必要があります。もし、あなたにとって自然がますます美しく見えるようになり、人々がますます美しく見えるようになったら、あなたは自分自身をもまたそう見ているのです。

・あなたがある人の性格を素晴らしいと憧れるとき、自分自身はとてもそんな性格をしているとは思いません。自分が憧れるような面を自分が持っているとは思えないのです。
でも、あなたがある人の優しさ、思いやりなどにあこがれるときは、実はあなたの中にもそれと同じ優しさや思いやりがあるのです。
イエスも「あなたが他人のなかに見るものは、すべてあなたの中に、もっとたくさん存在している」といっています。
つまり、あなたが憧れる他人の一面は、もっとたくさんあなたの中にあるのです。
これって素敵なことだと思いませんか?

・宇宙は、私たちが、調和、豊かさ、愛、幸福、やすらぎ、健康のうちに生きられるように、あらゆる手段を駆使して導こうとしてくれています。
私たちが、あるやり方を理解しないと、宇宙は別なやり方で同じメッセージを送ってきます。
たとえば、あなたがある種の思い込みによってながい間、自分の願いを表現できずにいると、宇宙は、病気や体調不良を使って、あなたをそのことに気づかせようとすることができます。
ですから、その場合には、病気や体調不良を気づきのプレゼントとして感謝して受け取らなければなりません。


・誰かがあなたを批判した時、次のように言ってはなりません。
「私が学んだところによると、誰かを批判する人は、自分もその批判の対象と同じ要素を持っているということですよ」
確かにそのとおりなのです。しかし<鏡の技法>をそのように使うことは、人間関係を壊し、友人を失う最も確実な方法です。いかなる人間も、他者を変えて進化させようとすべきではありません。進化は、人間一人ひとりが自分自身でなしとげるべきものです。

・「鏡の技法」を使えば使うほど、それはあなたにとって容易になるでしょう。あなたは自分に起こったことをすべて、より深く自分を知るために使えるようになり、人生をありのままに受け入れられるようになります。このように<鏡の技法>を使えば、あなたは、その存在を意識していなかった自分のさまざまな面とコンタクトできるようになっている自分に気づいて、新鮮な喜びを感じるでしょう。
私たちの内なる宇宙は、私たちが自分なりのリズムで、自分に最も適切なやり方で進歩の道をたどれるように、日々さまざまな方法で導いてくれているのです。

<鏡の技法>の主要な目的は、あなたが、ありのままの自分を受け入れられるようにすることにあります。
あなたが自分を、今まで以上に裁くようにすることではありません。
次のように思えるなら<鏡の技法>を使っても大丈夫です。
「私の心の一部は、我慢することがあまり得意ではないようだ。でもなぜ性急になるかといえば、もっと早く進化したいという気持ちがあるからだ。確かにイラだつのはよくないけれど、そういう自分を自覚できてよかった、きっと良い方向に変えられるはずだ。」
こうして、自分に忍耐力がないということを許し、忍耐力がないということの良い側面に注目することによって、初めてあなたは他者の忍耐力のなさを受け入れることができるようになります。欠点が良い方向に変化しはじめるのです。
特に、それまで自分がそれに気づかなかったということを裁かないようにしましょう。
そして自分の欠点を性急に改善しないようにしましょう。徐々にでいいのです。

・「鏡の技法」を使うことによって、相手に感謝することもできます。
たとえばあなたが車のスピードを出しすぎて警官に捕まり、罰金を払うことになったとします。この場合、もしかするとあなたは生きる上でもスピードを出しすぎており、もうすぐ先に危険が待ち構えているかもしれません。そこでそれを警告として受け止め、もう少し生き方のスピードをゆるめることによって安全に生きられるかもしれないのです。
<鏡の技法>を使って、あなたを捕まえた警官を恨むのではなく、かえって感謝することも可能となるのです。というのもあなたはその出来事を通じて、宇宙のメッセージを受け止めることが可能となったからです。その出来事を通じ、メッセージを受けとめることが可能になったからです。

・自分も他人も裁かないこと、自分も他人も罰しないこと。このことが可能になれば、私たちがこの世界に来た目的はかなり達成されたことになります。

<ルカによる福音書>

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 
悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。
罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
人を裁いてはならない。
そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めてはならない。
そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。
そうすれば、あなたがたも赦される。
与えなさい。
そうすれば、あなたがたにも与えられる。
押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。
あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。 」
イエスはまた、たとえを話された。
「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。
弟子は師にまさるものではない。
しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、
『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』
と、どうして言えるだろうか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除きなさい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」





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最終更新日  2023.08.19 15:44:34



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