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カテゴリ:リミンブログの12の考察
朝から激しい雨音で、渇いた身体が生き返るみたいだわ! 山の木々も心なしか嬉しそう♪ 雨が続いているときは「早く太陽が出ないかな~」と待ち望み、 カンカン照りが続いたら「猛暑で夏バテ、涼風が恋しいな~」 勝手なコト言っているけれど‥ それもこれも四季のある日本ならではの贅沢なコトなのよね。 という訳で、雨で散歩にも行けないし… 過日に予告でお知らせしたままになっている、 ウチの彼が見た「イラクの幸せ」をお届けします。 ウチの彼が仕事でイラクに居たのは、 ちょうど「イラン・イラク戦争」が真っ只中の頃。 それも連日40度を超える真夏の4か月! 22年くらい前の話です。 デジカメも無かった頃なので、古い写真をスキャナでアップ。 だから画質も悪くてごめんなさい。 フセインの独裁政権のころだけれど、 それなりの秩序を保ち、ビルや工場建設も進み、 人々が働ける仕事が街にはあった。 それに、イラクはイスラム諸国の中では、 お酒OK!の国なので、仕事を終えた人たちが、 飲み屋さんの店先で、ホッと寛ぐ姿もね。 工科大学の教育は英語で行われているため、 技術者たちは皆、英語が話せて、ウチの彼に 専門用語を教えてくれたそう。 彼の機械技術の担当もイラク人の女性だった。 女の人も働く場所があり、仕事中はスカーフを 被っていない人も多かったようですよ。 ※メイン写真は、その女性と電気技術担当の男性が 結婚したので、彼等の新居に招かれたときのもの。 白いスカーフがイクバールさん、彼女の後ろに立っているのが ご主人のモニエール氏(後列向かって右端)。 (ネクタイ締めてるのが20年前のウチの彼でーす) 現場で働くワーカーは全員タイ人で、 彼らは暑さにも強く、人が嫌がる仕事も引き受けて、 その必死な働きぶりには驚いたそうな。 ↑の写真は、日本人がワーカー宿舎に招かれての食事会。 日曜日は、イラクの富豪たちが、第一夫人から第三夫人まで、 子供や一族郎党を引き連れて、運転手付きのベンツに乗り、 街にアイスクリームを食べにやってくる。 ↓の写真はイラクの大富豪でも何でもない「ウチの彼」 この服装が一番涼しく過ごせたそうですが‥ 日中は工場で作業服。 汗が出ても暑さで瞬間蒸発してしまうんですって。 食堂のタマゴはほとんど腐っていたし、 彼はビールと果物で命をつなぎ10キロは痩せました。 夕方、冷房してあるホテルに入ると、 汗がドーッと吹き出して、そのままバーに直行。 冷たいビールが何より嬉しいひとときで‥ ところが、グーっと一息に飲み干して、 部屋に戻ると眠ってしまう。 どうも変だと思ったら、この「シェラザード」 アルコール度数14度と、日本酒と同じくらいの ビールだった! だから思い出すのは「シェラザード」 あんなに旨いビールは無い!というのも うなづけますが‥ そして、肝心のイランから爆弾が飛んで来たのは、 イラクに滞在中の4ヶ月の間に数える程度。 そのうちバグダットに命中したのが3発だった! それも土曜日と決まっていた。 (金曜日はイスラムの安息日だから仕事はしない) 今のイラクから考えると、変な言い方ですが、 最新兵器が飛び交っていない分、まだ 「穏やかな戦争?」だったような気がします。 独裁とはいえ、人々の普通の暮らしがあったのに、 中断されたのは「自由を与える」という大義を掲げ、 他国が介入していったから。 どんなに素晴らしい大義でも、 武力で押し付けられちゃ堪らない。 普通の暮らしの何万もの人たちが、 一瞬にして愛する家族を失っていく。 これを「幸せ」と呼べるだろうか? ある日ドアを蹴破って暴力的に侵入してきたら、 「オレだって戦う」とウチの彼は言う。 私もそうすると思います。 そして一生忘れることは無いでしょう。 かくして、「憎しみの連鎖」は続いていくのです! コロニアル風・建物の古い町並みです。 お土産の「赤い石」(ルビー?だと売りつけられた)は、 ココで買ったものなんですって。 怪人20面相が狙っている、あの「イラクの星」のことよ。 .................................................................................. ★幸せは何処にある☆ 【里山暮らし、ときどきスペイン】太陽出版 1,260円(税込) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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