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カテゴリ:映画
2009年のフランス映画。ミリアム・トネロットというフランスの女性ドキュメンタリー作家の作品というので、よもや「子猫物語」のような幼稚な映画ではないだろうと考えて観てみた。原題はLA VOIE DU CHAT。
ネコと人間の関係にスポットを当てたドキュメンタリーで、一部アニメも使われている。アニメをときおりはさむというこの手法が、ドキュメンタリーでありながら作品全体を優しく柔らかいタッチにしている。この女性監督の私的な感情がこの部分には特に強く表れているように思う。 いちおうストーリー仕立てになっている。行方不明になった飼い猫のクロを追いかけると、いつの間にか芸術家や哲学者たちがネコを自由の象徴として愛した19世紀を通過し、「吾輩は猫である」の夏目漱石の日本に。そこは今や1兆円のペット・ビジネスの都であると同時にかつて水俣病の被害をいち早く受けたネコたちの子孫が暮らす場所でもあった。 駅長たま、鉄道員ネコのエリカ、カメラネコのリー、おくりネコのオスカーといったネコたちのほかに、水俣で患者救済のために奔走した原田正純、1975年をターニングポイントに日本人が自我形成を経ることなく自己肯定に陥っていった際のネコキャラクターの役割を指摘する鹿島茂、駅長たまのアイデアを成功させた小嶋社長といったネコゆかりの人々、ネコカフェでくつろぐ客たちなども登場する。 そうして浮かび上がってくるのは、ネコと人との関わりにおける人間の身勝手さであり残酷さでありずるさにほかならない。ネコを利用しながらネコに感謝することをしない人間たちへの、監督が意図したかどうかは別にして、静かで深い告発の映画になっている。というか、そういう映画になっていると感じない鑑賞者は水俣の海を殺したチッソと同じ感性・論理・倫理の持ち主だろう。 そして感じるのは詩的感性と知性の間に分裂のない、フランス的というかヨーロッパ的知性の長所である。日本人はよくも悪くも感情的・情緒的だということがこういう映画を観るとよくわかる。 エリカやオスカーの10分の1も価値のない人間が、どんなに多いことか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
December 21, 2010 02:46:28 PM
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