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カテゴリ:映画
映画は詩でなく、詩は映画ではない。しかし、詩的な映像というのはあるし、詩のような映画もある。その伝でいけば、「海炭市叙景」は詩になり損ねた映画といえるかもしれない。
5回も芥川賞の候補になりながら1990年に自殺した函館出身の小説家、佐藤泰史の短編小説の映画化。5つの短編小説がオムニバス形式で映画化されている。それぞれの登場人物は重なりそうで重ならず、交じり合いそうで交わらず、事件らしいことは起きず、ただ淡々と、疲弊した地方都市ならありそうな日常が過ぎていく。 韓国映画「八月のクリスマス」の、水だったかお茶だったかを入れるシーンの詩的な美しさが印象に残ったことがある。しかし、この映画では、そういったようなシーンにも「詩」を感じることはない。この映画では、何らかの失意を抱えながら生きている人々の日常が散文的に描かれるだけで、そこに詩はない。 これはまだ30代なかばの熊切和嘉監督に詩的感性が欠落しているからではないだろうか? 造船ドックの整理・回顧シーンに端的な、やらせのドキュメンタリーのような不自然で作為を感じさせるいくつかのシーンはまあ大目に見るとしよう。しかし、この詩的感性の欠落は疲弊した地方都市の日常そのものより貧しい。 俳優の演技力にも差がありすぎる。小林薫や南果歩といったベテランとそれ以外との落差が大きすぎて、いちばん記憶に残ったのが南果歩の化粧シーンだったりする。 この作品は、地元の人たちが資金を含めて制作に協力し、函館市民もエキストラに多く出演している「市民参加型」の映画として、エンタテイメントに堕さない格調高い映画として、美談調で語られ高く評価されていくにちがいない。 しかし、この映画は駄作だと思う。原作に原因があるのか、監督の責任なのかはわからない。しかし、30代なかばのジョゼッペ・トルナトーレが「ニュー・シネマ・パラダイス」を作った事実や、チェーホフの何と言うこともない短編から「黒い瞳」を生み出したニキータ・ミハルコフの「創造」を思い起こすとき、稚拙な映画と言わなければならない。 日本映画にはときどき、言葉が聞き取りにくい部分がある。ドキュメンタリーならしかたがないが、劇映画では決してあってはならないことだと思う。この映画にも何カ所かあったが、そのあたりの無感覚には表現者としての傲慢さを感じる。 映画は夢を見せるだけがすべてではない。現実を淡々と描く映画があっていい。しかし、そこには何らかの発見がなければならないし、詩がなければならない。その二つを欠くこの映画は、結局、ローカルなご当地映画としての意味しかない作品になってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
January 3, 2011 03:20:14 PM
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