【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

July 2, 2011
XML
カテゴリ:
毎年、7月の第一土曜日の午後三時から行われている唐牛健太郎の墓参会に参加してきた。

朝6時に車で家を出て函館着は13時30分。昼食の場所を探すのに手間取って14時を過ぎてしまい、函館駅から徒歩3分のところにある大門横丁のすぐ隣にある「長月」という蕎麦屋に。

偶然入ったがこれが名店と言っていい店で、食べログ第8位の評価は低すぎる。もしこの店が8位なら、函館はよほど蕎麦の名店の多い土地ということになる。蕎麦は中もりにしても値段が変わらないというのは良心的。一品料理も多いので、今度は夜に来てみたいと思った。

ガイドブックに載っている「名店」を訪ね歩くより、こういう偶然がうれしい。

供えものに、家の庭に咲いている赤い花を3輪、イチゴの産地として知られる豊浦にある道の駅で唐牛健太郎にちなみ「けんたろう」種のイチゴを買い、福島県の日本酒「奥の松」を持参した。

今年の参加者は真喜子未亡人をはじめ全国から25人。どんな人たちが参加するのか興味があったが、組織や団体を背景にした参加者は皆無。唐牛健太郎の友人や元同級生を中心に、唐牛に思いを寄せる個人が、墓参のあとの酒宴なども楽しみに参加しているようだった。

元ニセコ町長で衆議院議員の逢坂誠二(50歳)が3番目くらいに若い参加者ということからわかるように、参加者の高齢化には60年安保闘争から51年、没後27年という歳月の重みを感じる。

しかし、真喜子夫人をはじめみな若々しく元気で快活、溌剌としているのには驚く。墓参といっても、形式的なことは一切なく、墓の前での立食パーティといった趣き。

この墓というのが場所も形も唐牛健太郎にふさわしくユニークだ。健太郎に墓は似合わないと反対していた真喜子夫人も、この場所ならと心が動いたという。作られたのは1990年7月のこと。100人が集まった除幕式では前衛舞踏家が踊り、ジャズや練鑑ブルースが流れたりしたらしい。

015.jpg

海を見下ろす墓地のいちばん高いところにあるが、すぐ上に無縁仏の大きな墓がまるで守護神のように建てられている。隣は函館一の名家の立派な墓だが、それよりもいい場所にある。秋山祐徳太子がデザインした、インド産の500年はもつという御影石の墓石のまわりを植物が囲い、墓の正面には彼の母キヨさんが書き残した字を使って唐牛健太郎の名前が刻まれている。

墓のデザインは、海を愛した唐牛にふさわしく波を表したものだというが、炎のようにも、いくつもの山脈のようにも見える。人類史に特筆される大「事件」であった60年安保闘争に青春のすべてを燃焼させ、その後は波乱に富んだ人生を送った彼の生きた奇跡そのものを象徴しているようにも見える。前衛美術家がデザインすると墓もこうなるのかと、写真で見て知ってはいたが感嘆した。

函館市は、観光ガイドから一パイ500円というクレージーな値段でイカを売っている函館朝市を削除し、唐牛健太郎の墓を詳細な地図入りで掲載すべきだ。

その秋山祐徳太子も来ていた。昔、東京都知事選の時期に東京にいてポスターを見たことがあったが、とても75歳には見えないほど若々しい。もっと奇妙キテレツな人かと思っていたがそうではなく、たしかに個性的ではあるが、何より唐牛健太郎にも通じる自由闊達な精神の持ち主と見た。

「いまだ下山せず」の著者、泉康子さんも来ていた。今年74歳の彼女は、昨年の「唐牛健太郎写真展」のメモリアル・ブックを製作し、ゴールデンウィーク前には気仙沼や石巻でヘドロかき出しなどのボランティア活動をしてきたらしい。その行動力には驚くほかないが、「人間の可能性の次元にたいして尽きせぬ関心を寄せながら・・・人間の現実性の次元にたいしても徹底した注意をはらう生の根本的課題にとりくむ際の知力、体力そして胆力において・・・最も信じうる能力をもったもののひとり」であったという西部邁の唐牛評(哀しき勇者)を思い出した。

震災と原発事故が起きたとき、唐牛健太郎が生きていればと何百回思ったかわからない。彼が生きていれば、卓抜な指揮官、司令官として千人分の働きをしたにちがいないからだ。東電を叱咤し官邸を恫喝し、米軍や自衛隊、万単位のボランティアを束ねることができるのは彼しかいなかっただろう。

そうした唐牛の知力・体力・胆力に通じるものを、泉さんからも感じたが、これは60年安保当時のブント活動家の多くが持っていたものにちがいない。唐牛健太郎は、西部邁が書いているようにそれが並はずれていたのだ。だから島成郎がわざわざ北海道まで全学連委員長にスカウトに来たのだろう。

ちなみに島成郎「ブント私史」と西部邁「60年安保 センチメンタル・ジャーニー」は世界初の独立左翼であったブントに関する証言、歴史的資料として一級である。

翌日は登山の予定だったので、墓参会だけで失礼して18時からの酒宴には出席しなかったが、来年の墓参の際には出席するつもりだ。唐牛健太郎が愛した女性と酒を飲み交わし歓談できると思うとその日が待ち遠しい。それまでは節酒と体調管理を心がけよう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  July 6, 2011 10:13:28 AM
コメント(0) | コメントを書く


PR

プロフィール

ペスカトーレ7

ペスカトーレ7

カテゴリ

バックナンバー

June , 2024
May , 2024
April , 2024

お気に入りブログ

ニュー試「ハーバー… alterd1953さん

不動産 夢の実現の… やっさんブログさん
減らないお財布を持… toms2121さん
www9945の公開プロフ… kitakujinさん
やまさんの投資日記b… やまさん12y3さん

© Rakuten Group, Inc.