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カテゴリ:旅
ギリギリまで迷ったが、やはり行くことにした。毎年7月第一土曜日の3時から行われている唐牛健太郎の墓参会である。
唐牛健太郎は、「共学同事件」で政治運動から身をひいたが、日本共産党の「汚れた青春」キャンペーン、反トロツキスト・キャンペーンの餌食となった。トロツキストは右翼からカネをもらい、挑発的暴力行為で警察を利しているという、あの自己保身合理化キャンペーンである。 ロシア革命を肯定する立場からはトロツキーは偉大な革命家であり、日共の反トロツキストキャンペーンに惑わされることはない(少数派だった宮本顕治は多数派からトロツキストと規定されていた)。しかし、田中清玄を右翼の黒幕とした「汚れた青春」キャンペーンは、日本共産党の枠を超えて影響力を持った。清貧を旨とする左翼・新左翼全体がそれを信じた。 しかし田中清玄は武装共産党時代の委員長であり労働運動の指導者だった。転向したとはいえ右翼になったわけではなく、せいぜいリベラルといったところだ。ハイエクとの交流など、知識人として一級だったといっていい。 こうした事実確認を怠った知的怠惰、実業家=右翼といった固定観念にとらわれた思想的な弱さの克服なしに、知的再生はない。人間的誠実さの出発点も獲得できない。 つまり、日共の反トロツキストキャンペーンを一瞬でも信じてしまった人間は、その贖罪が不可欠だということだ。そしてその贖罪は、唐牛健太郎の墓参を行ってはじめてその端緒を得ることができる。かつて敵対陣営にいた人たちが陸続と唐牛の墓に参る。そうした人たちが献花に訪れている事実もあるようだが、こうしたことをぬきに戦後日本の虚構たる「革新」の根本的な転換はありえないと考えたので、今年も行くことにしたのである。 驚いたのは新右翼の鈴木邦男氏が参加していたことだ。なんでも、1982年ごろ、講師に来てもらったりと交流があったらしい。唐牛を招く鈴木氏も、その招きに応じる唐牛も、なんという度量の広さか。 左から元早大反戦連合で自治労の高橋公氏、前衛美術家の秋山祐徳太子氏、鈴木氏。高橋氏が手にもっているのは唐牛と鈴木氏のツーショット写真。 途中から雨になったので墓地の中にある喫茶店に場所を移したが、鈴木氏の飾り気のない、腰の低い人柄が印象的だった。労働組合の幹部には尊大な俗物も多いし、日共や革マルのようなカルト的セクトにはまったく話の通じない人間が多いが、そうした人たち、あるいは右翼にしろ左翼にしろ自分は安全なところにいて無責任な「評論」にふける人間たちと比べたとき、鈴木氏の人間的な誠実さと善良さは歴然としている。 それにしても、何十年か前には「いつかこの男を殺すことになるかもしれない」と思った男と出会い、打ち解けて話をし、その人間性に感銘を受けるとは、人生は何が起きるかわからないものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
July 17, 2013 09:04:14 PM
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