韻文=詩ではないかと問うたある方へ
そうですね。どうお答えしたらいいのでしょうか。韻文というのは…ぶっちゃけて言えばリズムのある文(言葉の連なり)のことです。短歌,俳句,川柳,詩,歌詞,コピー,本の帯,新聞の見出し,標語なんかですね。散文というのは…ぶっちゃけていえばリズムのない(拡散された)文を指します。小説,記事(スポーツ新聞は時として驚くほど詩的ですが),リポート,公文書,論文,エッセイ,実用書,その他,もういうまでもありませんね。境界線はあいまいなところがありますけど,韻文と散文をわけるひとつの目安は「緊張感」ですね。その緊張感というのが詩的文法に支えられているかどうか。詩的文法とは何ぞや。たとえば「象徴」と言えばいいものをわざわざ「換喩」という。「暗示」と言えばよいものをわざわざ「隠喩」「暗喩」という。それは「効果」の問題ですね。たとえばSFや漫画という媒体が現実小説の方法から幾分遊離した方法でもうひとつの現実を表現しようとしているように。たとえば物まねがまねをする対象そのものをリアルに暴くのではなくその特徴を誇張して笑いを誘い出すように。すぐれた詩には詩的文法による緊張感があります。さだまさしさんの「詞」は散文に近い。小説に近い。中島みゆきさんの「詞」は韻文に近い。詩に近い。けれどどちらも小説ではない。詩ではない。歌詞という名の韻文です。韻文必ずしも詩ではありません。短歌や俳句や川柳が詩ではないように。散文の論理を詩の形式に当てはめただけの「詩散文」だってあり得ます。逆に詩的文法をもって散文の形式にあてはめたものは「散文詩」となります。そういう感覚です。韻文=詩と規定するよりも,韻文という散文と異なるフィールドの中に詩やら歌詞やら短歌やら俳句やら川柳やら標語やらがワイワイガヤガヤやっている…それが僕の韻文に関するイメージであります。とりあえずご理解いただきましたでしょうか。