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カテゴリ:詩論・文学論
処女作「私の横顔」
夜が明ければ朝が来て 日が暮れれば夜が来る 決して戻ることのない 決してやり直しの効くことのない 薄っぺらな紙を幾枚も重ねた 日記帳のような人生の 貴重な一頁一頁に 毎日虚無な出来事を 阿呆のように記す私… 我に帰れば 真の沈黙が私を襲う 自らを抱き締め ここにひとつの命が存在することを 拒み、恐れる卑屈な私は 人生にやり直しは効かなくても スタートラインはいつでも引けるさ、と 余裕たっぷりな顔をして 胸の内では焦っている ------------------------------ 改訂版「私の横顔」(*) 夜が明ければ朝が来て 日が暮れれば夜が来る 薄っぺらな紙を幾枚も重ねた 日記帳の一頁一頁が 白紙で埋まってゆく 夜が明ければ朝が来て 日が暮れれば夜が来る 我に帰れば 真の沈黙が襲うのだけれど 夜が明ければ朝が来て 日が暮れれば夜が来る スタートラインはいつでも引けるさ、と 余裕たっぷりな お題目 ------------------------------ 「需要と供給」 中学生の僕が書いた処女作は 二十年後 大のおとなを感動させた 考えてみればおかしな話だ 智恵遅れでないおとなが描いた子どもの絵を 褒めるものは誰もいないのに 智恵遅れでないおとなが書いた子どもらしい詩は 童謡として親しまれる 詩の世界にも フォークがあり ジャズがあり ロックがあり ヘヴィ・メタルがあるのだが 詩集といえばまず智恵子抄で あとは 教科書に出てくる詩人がいいところだ つまるところ 世間が求めているのは 詩ではない 私的な情緒を感じさせてくれる 何かなのである ------------------------------ (*)改訂版に満足しているわけではありません。念の為。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.02.22 20:47:07
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