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カテゴリ:詩論・文学論
「まったく二人とも同じ鋳型から生まれ出たとしか思えないし、主人の方の狂気だって家来の愚行なくしては三文の値打ちもないんですからね」
「後篇」第2章で司祭がドン・キホーテとサンチョのコンビを指して評したこの言葉ほど、世界に誇るこの主従の関係を的確に表したものはないだろう。 あえて単純化して言うならば、ドン・キホーテは「聖」と「理想」、サンチョ・パンサは「俗」と「現実」を具現化したものだ、と言えるだろうか。 だが実際はそうではない。「夫婦は似てくる」「犬はその主人に似る」とよく言われるが、この主従の間にも同じことが言えるのである。 再びドン・キホーテについて旅立つに当たって、サンチョが妻のテレサを説得する時の口ぶりはまるで主人そっくりである(「後編」第5章)。まるでこの章全体が、騎士と従士の会話のパロディのようだ。 また、公爵のいたずらによって、サンチョが島の太守になった時の名君ぶりに関しても、ドン・キホーテの影響を認めることができる。いかなる読者といえども、「前篇」でわれらがサンチョがはじめて狂える騎士の従士になったとき、彼がこんなに賢明だったとは思えないだろう。 「前篇」のサンチョは、ドン・キホーテが何者かまだよく分かっていなかった。「後篇」のサンチョはよく知っている。自分の主人が狂人であるということを。それでも彼はドン・キホーテを主人と認め、彼の高潔な人格と深い教養に魅かれて、付いていく。犬のように、友のように、弟のように。 否、付いていくという言葉は適当ではないかもしれない。「後篇」のサンチョはドン・キホーテの対等なパートナーである。時には主人をだまくらかしつつも、騎士のために骨を折り、助言をし、援助する。不具は「後篇」のサンチョが好きである。自分の主人が狂人であると知っていてそれでもなお行動を共にするサンチョが好きである。 ところでサンチョといえば、次から次へと諺を雨あられのように繰り出すことで有名だ。主人のドン・キホーテもしばしばこの従士の悪癖には閉口しているのだが、物語の終盤に至って、われらが騎士もまたサンチョよろしく諺を連発し始めるのである。もちろん本家本元には敵うべくもないのだが。 まさに、朱に交わればなんとやら、の二人ではなかろうか。 ドン・キホーテ万歳! サンチョ・パンサ万歳! いわゆる「精神障害者」を主人公にしてかくも面白き、そしてさびしき物語を創造した文豪セルバンテスに万歳! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.09.16 13:39:22
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