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2019/11/20
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11月17日(日)のことですが、浜田省吾のファンクラブ限定コンサート「100%fan fun fan 2019」に行ってきました。
昨年「100%fan fun fan 2018」があり、70年代に作られた曲限定のコンサートが行われ、まさしくその時代、浜田省吾の歌とともに生きた中高生時代を思い出して感涙にむせんだものです。
その時のブログがこちら。
⇒​「100%fan fun fan 2018」

で、今年は、1980年代前半の楽曲だけで構成されたコンサートでした。
今でも覚えているのですが、私の大学時代の学籍番号が「8031099」。
80年入学の法学部法律学科の99番目の学生、ということで、大学入学が1980年です。
今回のコンサートというのは、まさしく私の大学時代と丸かぶりの楽曲で構成されていたということになりますね。
浜田省吾のファンでなければどうでもいい話ではありますが、今やテレビに出てこないビッグネームとなった「ハマショー」が、じわじわと人気が出始めた時代でもあります。
70年代の浜田省吾は、コンサートも満席にならず、ひたすら日本全国、お声がかかれば歌っていた時代。
80年代に入ってくると、その効果が出始め、「我こそは浜田省吾のファンである!」といった、現在の彼のファン層の中核をなす、熱いファンがたくさん生まれてきました。
私の大学時代には、すでにコンサートのチケットが入手しにくい状況にもなり始めていましたね。
今回のコンサートの対象となったアルバムは、「HOME BOUND」「愛の世代の前に」「PROMISED LAND」の3枚で、彼も30才前後のもっとも勢いに乗った時代でした。
浜田省吾唯一にして、最大のヒット曲である「悲しみは雪のように」は、「愛の世代の前に」というアルバムに収録された一曲で、決して目立った曲ではありませんでした。
おそらく、いまも、当時の浜田省吾のファンからすると、あの曲より、もっといい曲がいっぱいあるのに!ということになるでしょう。
「悲しみは雪のように」がテレビドラマ「愛という名のもとに」の主題歌となって爆発的にヒットしたのが1992年ですから、曲が発表されて10年以上もたったあとでした。
これをもって、浜田省吾の名は広く知られるようになったのですが、まさしく80年代というのは、コンサート活動を中心に、厚く熱いファン層をじっくりと作り上げていった時期でもありました。
だからこそ、今もって彼のファンが依然に変わらぬ熱で応援してるんですね。

今回のコンサートは、当時からのファンにとっては、まさしく、人生の荒波を超えての「神様からの贈り物といっても過言ではないかもしれません。
コンサートに来ていたのは、もちろんファンクラブの会員なのですが、年代的には、40代後半から60才くらい。
一気に、35年をさかのぼって、あの日に帰ったんですね。
その感、就職、結婚、子育て・・・・、いっぱい苦労もしてきて今、このコンサートに来てる、って感じです。

ホールにセットされたこじんまりしたインフォメーション前で写真を撮るファンたち・・。

来年は、80年代後半の楽曲だけのコンサートがある予定です。
ファンクラブ限定なので、興味のある方は、ファンクラブにどうぞ。
ほんとはいっぱい書きたいことがありますが、あまりにマニアックな話になってくるので、この辺で。





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Last updated  2019/11/22 07:23:14 AM
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