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カテゴリ:真の幕臣、小栗上野介
「小栗上野介忠順」(82) 「公使閣下、今晩、有意義な会談が出来て感激にござる」 上野介はロッシュの好意に感謝を述べ、瀬兵衛に顔を向けた。 「瀬兵衛さん、この件は頼みます。カション殿、よしなにお願いいたす」 丁重に通訳官のカションにも礼を述べ、カションが巨体を縮め恐縮している。 「大臣閣下、何なりと仰せ下さい」 こうして仏国公使ロッシュとの非公式会談は成功裏に終わった。 確かな手応えを感じ、上野介は満足して横浜を去った。 ロッシュも満足している、勘定奉行の要職にある小栗上野介の 人物に惚れたのだ。 「カション、幕府の高官も案外と捨てたものではありませんね。あの様な人物 が居れば、幕府への肩入れは我が国の利益とも成ります」 この晩を契機とし、栗本瀬兵衛とカションは頻繁に会い、情報交換を 行うようになった。こうした二人の会談で列国が日本の情報を正確に知っ ていることに瀬兵衛は驚かされた。 西洋列国は定期会合をもって日本の情報を交換しあっているようだ。 こうした事を瀬兵衛は上野介に逐一報告していた。 この時期の幕府は前年の征長の勝利で幕威が蘇り、参勤交代を復活 させ、長州浪人の動静と不逞浪士の弾圧を強行し、幕臣の挙動にも眼を 配っていた。それに引っかかった人物が勝海舟であった。 彼は軍艦奉行の要職に就いていたが、板倉勝静に大阪に呼びだしを受け ていた。理由は勝の主催する神戸海軍操練所の塾生に、不逞浪士が加わっ ているとの疑惑で、その返答を迫られての旅であった。 現に土佐の坂本龍馬を筆頭に、各地の不逞浪士が塾生として学んで おり、その事が漏れたと勝海舟は感じていた。 その旅先で薩摩の西郷吉之助と再会することに成る。 西郷は軍艦奉行の勝海舟に長州藩の処置を聞きたく、勝海舟の宿場 まで追いかけて来たのだ。 薩摩藩も西郷吉之助も蛤御門の変と、第一次征長の変に参加し長州藩 を叩き意気が挙がっていた。併し、幕府の動きは鈍くその処置の手緩さを 憂いていた。幕府は長州再征を叫んでいるが、一向に腰を挙げる気配が なく、征長軍の参謀の任にある西郷吉之助は、幕府の真意を糾すための 訪問であった。 「薩摩の西郷吉之助」 勝海舟は首をひねった、聞いたことのない名前であった。 部屋に西郷吉之助が巨体を現し、勝海舟は坂本龍馬と訪れてきた彼を 思い出した。まさに人替わりをしたように体躯も顔の造作も大きく巨眼が 炯々と輝いている。勝海舟は素早く西郷吉之助を観察した。 西郷は巨体を窮屈そうに折り曲げて挨拶を述べた。 「薩摩の西郷吉之助にごあす。此度は勝先生に幕府の方針を伺いたくて 罷り越ました」 初めて遭った頃の西郷は無口で坂本龍馬等の仲間と一緒であった。 そうしたことで勝海舟の印象には残って居なかったが、目前の西郷は 一目で逸材と分かる人物に成長していた。 「おいらが勝だ、あんたが薩摩の西郷さんかえ。大きな男だねえ」 勝海舟は巨体と西郷吉之助の人物を掛けて大きいと表現したのだ。 「躰だけ太くて恐縮にごあす。先生は坂本さんと懇意にごあすな」 ここに幕末の両雄が会いまみえたのだ。 「坂本かえ、あの男も大した胆の持ち主だが、あんたもそれ以上じゃな。 ところでおいらに用とは何事だね」 座るように促し、勝一流の伝法な口調で用向きを訊ねた。 「先生、幕府は本気で征長を遣る積りにごあすか」 「埒もねえ、幕府には昔日の力なんぞ残っちゃいないよ」 勝海舟は一瞬沈黙したが、驚くことを語った。幕府高官とし口にすべき 事柄ではない。 「いま何と申されました。間違いにごあすか」 西郷吉之助が仰天した顔で勝を見つめた。 「西郷さん、あんたは薩摩の逸材とし天下に知られているが、料簡が狭い ねえ。これからの時代は幕府や長州なんぞと言うておる時じゃねえよ。 日本は挙国一致し列国と平和に事を処す時代だよ」 事実、この時期の薩摩は幕府寄りで、長州藩のみが孤立して幕府に抵抗 していたが、坂本龍馬の奔走のお蔭で薩摩と長州は手を結ぶことになる。 幕府高官の言葉とは信じられず、西郷は無言で勝海舟を見つめた。 「幕府はもういかんよ。いいかえ、おいらの言葉を胸に叩きこんでくんな」 小栗上野介忠順(1)へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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