今日行われた横浜=楽天戦において、横浜ベイスターズの石井琢朗選手が2000本安打を達成しました。1989年にプロ入りして19年目での達成なんですが、石井選手の場合、投手としてプロ入りしてその後に野手へ転向しているのですよ。しかも、投手としては1勝(4敗)をあげているんですから大したものです。
私は大洋時代からの横浜ファンですので、石井選手が投手をしていたことも知っています。背番号66をつけていましたが、背はそんなに大きくなかったし目立つような活躍はなかったと思います。1992年に野手に転向、内野手として再出発(一時期は外野を守っていたこともありました)したわけですが、そこからどんどん積み上げてきたヒットの数が今日、2000本を達成したわけです。
今回の2000本安打は、日本プロ野球では34人目だそうですが、投手として1勝あげてから野手に転向しての2000本安打となると、川上哲治氏以来2人目という快挙だそうです。
この2000本安打の成功は、次の3つの要素が重なった結果でないかと思います。
1.野手転向への決断が早かった
投手としての限界を感じたのかもしれませんが、スパッと野手に転向したのは正解で
した。
その後の野手としての練習は、並大抵のものじゃなかったでしょうけど。
2.俊足&左打者だった
マリナーズのイチロー選手と同じ「俊足&左打者」タイプは、現在の野球では有利です。
3.チームの状況がよかった
横浜大洋ホエールズ~横浜ベイスターズというリーグでも弱小チームに所属していた
ので、相手チームからのマークが厳しくなかったというのもアドバンテージです。
ちなみに、石井選手と同じように投手から野手に転向した選手の中で、今でもプロ野球ニュース等で好々爺の解説をされている関根潤三さんがおられます。関根さんは2000本安打は達成されていません(それでも1000本安打は達成している)が、投手として65勝あげて8年目からの転向ですから、もっと決断が早かったらすごい記録を達成していたかもしれませんね。まぁ、関根さんが在籍していたチームが今の横浜や楽天以上に弱くて「お荷物球団」と揶揄された近鉄だったのですから、転向できないチーム事情もあったんでしょうね。
話しが横道にそれてしまいましたが、石井選手の2000本安打を大洋時代からのファンの端くれとして喜びたいと思います。