西北ネパール/フムラの代表してた『ちょんまげ姿』は全くいなくなりました。
ヤンシー・コーラに入る。ヤリ村からチベットのプランに出て、ダルチェンからカイラースへ詣でる旅はここ十年、ようやく日本人にも知れるようになったが、この路はフムラ・カルナリ河を遡上する古い路で、F.ハイメンドルフは1957年から1972年、東ネパールのワルンチュン・ゴラからクーンブ、ムスタン、トルボ、ジュムラ、ムグ、フムラと広く歩いた。F.Haimendorf“Himalaya Traders”To my Nepalese companions in travel and research.London,1975.彼はフムラでは少しリミ谷を書いたけど、フムラカルナリ周辺の人びとはチャンタンの人たち(西チベット)で、ボティアでありながら、チェトリとかタカリを名のっている。ことなど詳しく書いた。ドザム・コーラの、今では全くいなくなった『チョンまげ』姿の男たちのことも書いている。それにムスタン、ドルポ、ムグでも少なくなった羊の背に荷を運ばせるキャラバン隊(今年もたくさんフムラでは見たので、それはいずれ・・・)の話も面白く読ませてくれる本でもある。(モノクロ写真はハイメンドルフ撮影)P29(7871m)は彼の名を新たに付けたハルカ・グルン教授も1977年にジュムラからシミコット、北上してタクチェからリミ谷を下りチベット側のセラへ降りてヒルサからフムラカルナリをシミコットへと下った。1966年にはジャジャルコットからジュムラ、シンジャなど『キングス・ウェー』を辿り、ララ湖とムグへの路へも寄り道した。Prof.H.Gurung“Vignettes of Nepal”Kathmandu,1980.写真は1983年に実施されたチャンラ・ハイエスト(ラチャマ・チュリー)6721mの報告書の表紙を飾ったドザム村の『ちょんまげ叔父さん』、この山は2007年DUACを母体のJAC Kansaiの若手がチベット側から登頂した。JAC News Vol.9,May 2008.(カラー写真は)西北ネパール女史学術登山隊1982―1983『ドザム・コーラの人と自然』よりヤリ村からヤンシー・コーラの谷に入る。 上ヤリ村から30分山路を登ると・・・。正面にサイパルダダの5135mからその奥の5376mの山々が見えて、手前のグンバ・ニンボ・コーラの広い谷が正面に見えて、この谷へも入り、バジャン側への路を探ってみようと思う。 やがてラプチェが出てきて・・・。その奥にニセ・アピのニレ峰5895mが堂々としたヒマヤラに見えるが、これはサイパルダダの山で小さな前衛峰なのだ。 ラプチェからどんどん下るとニャム村。 2軒だけ?と思ったら裏にも3軒あって、手前の家の夫妻が飛び出してきた。『あんたら何人?』『チャイナ・コ?』と問う?『ホイナ!ジャパニ!』と答えると・・、『・・・?』無言・・・。そこで、GJが『チャン・ツァ?』『ツァ!』と答えた。多分?カトマンズから来た『ネパール人だ?』と思ってる? 上流には3軒の家が見えるだけの小さな村だった。 村を出て降り返るとニャム村から下流のヤリ村まで一望できた。 Zoom in ! Nyam Gaon all!