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2010.11.12
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カテゴリ:The B-52's
 日本で初めて米国在住の男性が日本人初のAIDS患者として認定された85年、The B-52'sのギタリストで、バンドの音楽的な牽引者だったリッキー・ウィルソン(Ricky Wilson)が32歳という若さでAIDSによりこの世を去った。
 今でこそ抗HIV治療によりAIDSでの死亡者数は減少しているが、リッキーが亡くなった85年当時はHIV感染者に対する治療といえば観察診療が主で、AIDS発病後も特に有効打はなく、発病から2年ほどで死に至ることが多かった。
 リッキーの早すぎる死に、残されたメンバー…vo.のフレッド・シュナイダー(Fred Schneider)、ケイト・ピアソン(Kate Pieson)、学生時代からの友人でもあったds.のキース・ストリックランド(Keith Strickland)、そしてとりわけリッキーの実妹であるvo.のシンディ・ウィルソン(Cindy Wilson)のショックは大きく、バンドは深い悲しみに包まれた。 
 レコーディング中だったアルバム「BOUNCING OFF THE SATELLITES(バウンシング・オフ・ザ・サテライツ)」はリッキーが逝去した翌年9月にリリースされたが、プロモートのためのツアーなどとても行える状況ではなく、バンドはどん底の状態であった。

 そんな折、キースは亡き友の跡を継いでギターに転向、リッキー独自の変則チューニングを蘇らせた。彼等と親交のあった方のブログによると、リッキーは生前、キースに彼のギターパートを全て教えていたという。
 リッキーの死により活動休止に陥っていたバンドは前作リリースから3年後の89年、アルバム「COSMIC THING(コズミック・シング)」を発表。シングルカットされた“Love Shack”はMTVのBest Group Videoに輝き、また“Roam”は全米3位の大ヒットを記録。見事、華々しい復活を遂げたのであったきらきら
 このアルバムの中で個人的に最もお気に入りの曲は、キースとリッキー(&シンディ)の故郷であるジョージア州アセンズ時代の思い出を歌った“Deadbeat Club”だ。

deadbeatclub.jpg Deadbeat Club (90) モノクロのPVも秀逸。思わず涙が滲む…

 この後、シンディがバンドを去り3人になったものの(のちにシンディは再び戻ってくるが)、92年には「GOOD STUFF(グッド・スタッフ)」をリリース。
 94年公開の映画「D2 マイティ・ダック 飛べないアヒル2(D2:THE MIGHTY DUCKS)」の挿入歌としてもお馴染みのアルバムのタイトルソングは、これまたビルボードチャート28位とスマッシュヒットを記録。なんと93年のグラミー賞ではBest Alternative Rock Performanceにノミネートされた。

goodstuff.jpg Good Stuff (92) ウィルソン兄妹のいないB'sはやはり寂しい

 94年には映画「フリントストーン/モダン石器時代(THE FLINTSTONES)」の主題歌を担当、The BC-52's名義で“(Meet) The Flintstones”をリリースした他、チラリと出演もしている。
 その後はベストアルバムが何枚かリリースされ、08年には何と16年ぶりとなるスタジオアルバム「FUNPLEX」が発売された。

funplex.jpg Funplex (08) The B-52'sからThe B-52sに

 The B-52'sの人気は悲しい哉、リッキー亡き後にリリースした「COSMIC THING」を機に一気に高まり、彼等の音楽は幅広く受け入れられるようになった。
 しかし時代の流れなのか、はたまたリッキーとキースの音楽センスの違いなのか、昔のような、リッキーの奇抜なギターに代表されるあの突き抜けた奇天烈さはなくなってしまった。キースにはキースのやり方があって当然なのだが、やはりどうしてもリッキーがいた頃の音楽が、あの変則チューニングが忘れられない涙ぽろり

 かつてThe B-52'sと一緒に全米ツアーを回ったことがあるプラスチックス立花ハジメさんは、なんでもその時リッキーから直接チューニングを教わったらしく、07年にTHE CHILLというバンドを立ち上げてリリースしたアルバムではリッキー直伝の5弦変則チューニングを用いているらしい。
 うーん…北斗神拳で例えるならば、キースがケンシロウで立花さんがラオウといった感じ?いや、ひょっとしたら逆!? (例えが悪すぎて自分でもよく分かんなかったりして。ただ、立花さんはリッキーの変則チューニングの唯一の承継者だと自認しているそうな。ぜひとも頑張っていただきたい)

 私はThe B-52'sが…というよりは、リッキーが手掛けたThe B-52'sの音楽が大好きだった。

 1980年8月23日(おらの11歳の誕生日!)にカナダ・トロントのモスポート・パークで開催されたHeatwave Festivalに出演した際のライヴ演奏を収録したブート盤「PARTY OUT OF BOUNDS」(全14曲)を聴きながら、今宵も一人しみじみとリッキーのギターリフに想いを馳せるのであった月
 では最後にシンディが歌いあげる“Ricky”をどうぞ。

cindy-ricky.jpg Ricky (03)

 パソコン References リッキーの記事を書くにあたり、以下のサイト&ブログを参照しました

 ・SONGFACTS - Deadbeat club by The B-52's
 ・Hoppin' John's (John Martin Taylor's blog site) - The B-52s and Me
 ・Kate Pierson talking about Ricky Wilson → You Tube
 ・HIV(エイズ)検査完全ガイド - ひと目でわかるエイズ年表
 ・Rooftop - 立花ハジメ('07年9月号)
 ・The Mosrite Forum -The B-52's Ricky Wilson's Mosrite Tunings
 ・Ultimate-Guitar. com - Rock Lobster Tab
 ・Wikipedia - Ricky Wilson, The B-52's などなど





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Last updated  2010.11.13 03:11:39
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