午前に仕事、午後はY先生宅を訪ねた
Saturday, September 24, 2022 晴れ時々曇り 南の風平均風速2.1 27.6℃ 19.7℃ 午前4時起床。 朝食を食べず、午前6時半、家を出ました。土曜日ですが、ネクタイを首に巻きました。東九州自動車道を北上、Y市へ。社長の代理、某社Y支店の創立記念式典に出席しました。社屋の前にグランドが広がり、社員300余名が整列していました。政治家も出席した式典の後、所有の機材を使ったデモンストレーションがありました。初めて見るものばかりでした。ちなみにこの会社、台風や地震の折は、弊社へユニゾンを派遣してくれます。今日は支店長にお会いし、そのお礼を言いました。 午前11時半、式典が終わりました。Y市には朝のうち、到着でした。その時刻はまだ静かでしたが、さすが観光地。昼前はまちの中が渋滞。Yインターまでの道中、混み合って往生しました。大分自動車道を西向け。H市へ向かいました。午後1時到着。写真は食べた「想夫恋(そうふうれん)」という焼きそばです。佐伯にごまだしうどんがあるよう、H市には独特の焼きそばがあるのです。硬め、一部にパリパリした食感のところもありました。混じる肉はホルモン系。普通盛りが1,050円。高めです。 H市と書きましたが、イニシャル表記の必要はありません。そのまちは日田市です。嘗て西の小京都と呼ばれ、江戸時代は天領でした。筑後川の上流にあって水郷日田とも言われ、川を利用した物流が盛んでした。広瀬淡窓の開いた咸宜園のあったことで知られています。盆地なので夏場は高温、禁玉さんの暮らす多治見市といい勝負をします。 さて、このまちに来た目的は、Y先生を見舞うためでした。 先生は私が高3の折りの担任です。御年83歳。宅を訪ねるのは初めてでした。市街地の外れ、小さな丘の麓に庵を結ぶよう、和風の二階家でした。 午後1時半、玄関に立ちました。先生は午睡の最中でした。奥さんに手土産を渡しました。先生の書斎に案内されました。畳の部屋でした。座椅子の方が楽と言いながら、座り込みました。私も座布団の上に足を伸ばしました。座卓の上に北海道の地図を広げてありました。以下は先生の述懐です。 まずは訊きたいことがある。(地図を指しながら)おまえはなぜそこの大学に行ったのか、寮には入ったのか。嗚呼そうか、それで担任した時からの疑問が解けた。さて、脈絡無しだが、あれこれの話を訊かせて貰おうぞ。まずは北海道のことを。私はそこを3回訪ねている。うち1回はバイクで一周した。一番の景色はサロベツ原野の直線道路だ。まさに異国だった。えっ?今は風力発電の風車が立っているのか?景観は台無しだな。旅行と言えば、佐伯鶴城時代7年間(50年近く前)の一夏、30日をかけ、西ヨーロッパを歩いた。一人の旅行だ。私は英語を話せた。スペイン、イタリアはなんとものんびりした国だった。毎日、妻に葉書を書いたが、郵便事情が劣悪、私の帰国より後に日本へ届いたよ。そのせいで約1ヶ月、学校と音信不通。行方不明になったと職員室は慌てたそうだ。さて、その英語は高校時代から得意だった。広島にある高校教員養成課程の大学に入学。結局、高校地理の課程を選択した。新採用は母校日田高校だった。ついで中津南高校へ。そこで校長に日本史を担当するよう指示のあり、それがきっかけ、以降、おまえたちの高校でも、また日田高校に戻ってからも一貫、歴史を担当した。社会科にあっても地理は理系分野と私は思う。気象をして一次産業との絡みや地学の視点から鉱工業の成り立ちを教える必要がある。その概念はサイエンスの世界だ。と言うことで地理をやったものは歴史も出来るが、文系の歴史屋は地理を教えることが難しい。おっと、話がそれてしまった。私はこの10月1日、このまちにある緩和ケア病棟に入院する。そうなるともう誰にも会えない。来週の初め、中津南の輩数人がやってくる。それが教えた連中との最後だ。その際、最後の歴史授業をしてやるつもりだ。ということで、おまえにも特別に個人授業をしてやろう。邪馬台国九州説だ。10数年前、曹操の墓が発見され、鉄鏡が出土した。それが大分県日田市から出土のものと酷似しているとのこと。曹操の死は220年。卑弥呼が魏に遣使したのが239年。三国時代のものが日田市にあったと言うことは、魏が遣使に遣わしたものとみるのが筋だろう。と言うことで邪馬台国畿内説は雲散霧消。どうだ。おまえにその資料と、別に一冊、本をやろう。まだ読んでいないが、もう時間が無い。司馬遼太郎の歴史観には大いに与するところがある。えっ、もう帰るのか。まだ話していけ。私の身体を心配するな。俺がいろと言うのだからいろ。大丈夫だ(隣で奥さんが心配顔)。最後に俺の病状を話しておく。この4月、吐血して入院。胃癌だった。腹腔鏡手術に臨んだが、穴を開けただけ。切除するレベルでは無かった。抗癌剤治療を受けたが、副作用あって、命を縮めるだけと思い、やめた。膵臓など他の臓器にも転移。処置無しだ。今はものを食べるのが地獄の苦しみ。体重が減ったよ。死ぬのは恐ろしくない。この歳まで生き存えたのはありがたいことだ。死は深い眠りだと思っている。いいかT(私のこと)、今から言うことは友人や教え子、妻にも話していない。動転するなよ。~中略~と言うことでな。嗚呼、疲れたな。お前、そろそろ帰るか。気をつけてな。俺は多くの俊才を教えることが出来、未だ、大勢に交誼を得続けている。教師冥利に尽きる。訪ねてくれて有り難うな。そうそう、入院しても手紙は読めるぞ。葉書を書け。返事は無理だがな。それじゃーここに座ったまま、見送るよ。さようなら。 写真は先生に頂いた司馬遼の本と鉄鏡の資料です。奥さんが玄関の外まで見送ってくれました。彼女も80を超えていますが、先生の若い時分、私が高3の頃に一度お会いしたことがあります。目元の涼しい、女優で言うと清水美砂似の女性でした。面影がありました。果物やお茶を出してくれる折、先生と奥さんのやりとりをして、仲睦まじさ、互いを思いやる優しさを感じました。嗚呼、訪ねてよかった。 帰りの道中、先生のことが頭から離れませんでした。帰宅は陽の落ちて、でした。写真は流した酒、黒糖焼酎です。沁みました。今日の一首病む恩師削げた頬して語る死は深い眠りと喝破し笑う今日のランなし今日の酒奄美黒糖焼酎25度ロック5今日の音楽バーバー アルビノーニ 今日の写真は、午前に訪ねた某社です。飾り気の無い、無機質の建物にみえました。それが社業のスタイルなのでしょう。