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テーマ:ミニマリスト(672)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
クリスマスが、大好きでした。
今も好きですが、この季節がやってくると、ちょっと切なくなるのも事実です。 亡き父と、最後に一緒に出掛けたのが 11年前のクリスマスの日、だったから。 父は、ガンでした。 末期の胃ガンです。(膵臓やリンパにも転移がありました) ガンが分かってから亡くなるまでの1年ちょっとの間に、2度の大きな手術をしました。 1度目にお腹を開いてくれた執刀医の先生は、思った以上に転移の範囲が広かった病巣に・・・ もう、摘出は諦め、そのまま閉じようか、と 思ったそうです。 けれど、外科医魂が発動したのでしょう。 諦めず、摘出できる限り取り出してくれた。 それが 良かったのか。 どうだったのか。 術後の予後が思わしくなく・・・3週間後、まさかの追加再手術。 約半年間の入院。 定年退職のあと、元気いっぱいで野山を歩き回っていた、健脚自慢の父が・・・ あっという間に歩けなくなりました。 ![]() 父は、たとえば 吐血して倒れて病院に担ぎ込まれた、とか 全くそういうのではないのです。 分かった時にはすでに「ステージⅣ」でしたが、ちょっと疲れやすいかな、以外、 全くといって自覚症状がありませんでした。 隠居の毎日を 心底楽しんでいた。 趣味の卓球や畑仕事。児童の登下校を見守るボランティア。 本当になんともなかったのです。 ただ、近ごろ妙に顔色が悪いよね、ということで 念のため、病院に行った。 そしたら、人生が、変わってしまった。 2度の大手術を経て、何とか1度は退院できたんです。 家に帰ることができた。 1ヵ月ごとに1週間入院する、という・・・あのキツい副作用と、本当に意味があるのかどうだか分からないことでしか有名でない「抗がん治療」を受けながら、ではありましたが。 リハビリも、人の3倍頑張って、退院の直前、遂にひとりで歩けるようになった 父。 「退院できても、恐らく車いす生活ですよ」と言い放っていた若い担当医を たいそう驚かせた。 リハビリの訓練室で 父が初めて歩けたとき・・・ そこに居合わせた全ての人たちが 一斉に拍手をしてくれたこと。 拍手の音。額に汗した父の笑顔。そして窓の外に見えた満開の桜景色は・・・ 一生 忘れない。 ![]() 特別なことをしなくても「赤」と「緑」さえあれば・・・もう 気分は「クリスマス」。 退院した年の クリスマスの日のことでした。 塩息子は、年長さん。 次の春にはピカピカの1年生となる 2006年のクリスマスでした。 今日、この子のランドセルを買いに行こう、って 急に父が言うんです。 こんな寒いし、クリスマス商戦の人混みで なにか風邪とかウイルスとかもらったら大変だし、 いいよ、お金だけ預かって、わたしと息子で買いに行ってくるから、と言うわたしに・・・ 「いや、行く。一緒に行く。お金だけ渡したんじゃ・・・誰に買ってもらったのかなんて、 きっとコイツ、すぐに忘れてしまうだろ?」 と・・・ ちょっと淋しそうに 笑った。 おじいちゃんがランドセルを買ってくれたんだ、ってことを、 父は、この子(塩息子)に、ずっと憶えていて欲しかったのでしょう。 ![]() 温めたアップルパイとバニラアイスの組み合わせ。アリよりの・・・いや、神よりの神! 年が明け、2月28日に、父は亡くなりました。 享年66歳でした。 塩息子の入学式まで自分が生きられないことを、父はもしかしたら知っていたのでしょうか。 あの時 病院へなどいかなければ・・・ と 今も 時々思うのです。 さんざんな苦しい手術、治療をして、何ヵ月も入院をして、延びた命は ほんのわずかだった。 ほんの ほんの ほんの わずか だったのです。 それなら。 あのまま、毎日、楽しく暮らして・・・ 好きな野菜作りやボランティア活動に励んで・・・ 或る日パタリと畑で倒れたほうが、どんなにか有意義な余生を送れたのではないか、と。 幸せだったのではないか、と。 長い長い入院生活は、動くことが大好きだった父には・・・ 死ぬより苦しそうに見えたから。 自分自身の健康診断についても・・・ 最近は 正直考えてしまうところがあります。 受ければ、何かしら見つかる年齢です。 毎年バリウム飲まされて、台の上でひっくり返されて、そんなに目くじら立てて病気の兆候を探す必要なんて、本当にあるのかな。 ![]() 健康診断は受けてはいけない (文春新書) [ 近藤 誠 ] モノがいっぱいあるころは、生きること、「命」に対する執着も、凄かったんですよ、わたし。 絶対に長生きしてみせる!! 100歳までだって生きる!! ってね(笑) けれど、モノをたくさん捨てて、それこそ「生前整理」並みか それ以上に片付けて、 自分の持ち物も家の中も、どこもかしこも「がらーん」って なったら・・・ なんか、もう、わたし、いつ死んでも大丈夫だな、って。 自分にいつか必ず訪れる「死」というものをね、悲観ではなく、明るく意識できるようになった。 いつまでも生きられると思わなくなってからの方が、そして「がらーん」になってからの方が、 1日1日や、自分自身のことを とても大切に思えるようになったのは、不思議なことです。 孫を・・・ 初めての、念願の「男の子の孫」だった塩息子のことを・・・ それこそ目に入れても痛くないほど、ものすごく、ものすごく 可愛がってくれた父。 父が亡くなったことは、思いのほか、引きずることはありませんでした。父をとても好きだったし、最後まで仲が良かったし、わたしなりに「充分親孝行をできた」という自負があったから。 そういう意味では・・・母が亡くなった後のほうが、わたしは引きずるのかもしれない。 なぜもっと優しくできなかったのか・・・と 自分の振る舞いを悔やみ、苦しむのかもしれません。 息子の成長を・・・ 見せたかったな、父に見ていてほしかったな、と、 いつも思う。 そんなときは 堪らなく寂しくなってきたりもするんだけれど・・・ 父はどんなにか、もっと生きたかっただろう・・・と 胸の奥がギュッと痛むのだけれど・・・ そんなときは、いつもあの日の光景を、思い出す。 「必ず、歩く。おじいちゃんは、必ず、もういちど 歩けるようになって見せるからね。」 幼い息子に、そう約束をした父。 気迫と信念。 父が見せてくれた、人間の本当の強さ。 父が本当に再び歩けたときの、あの震えるような感動は、今、父を失った悲しみにも、勝る。 あの春の日の光景に・・・ あの「拍手」と「笑顔」と「満開の桜」に・・・ 10年以上の歳月を経た今もなお、 わたしは 救われている。 ↓ にほんブログ村・ミニマリストランキングに参加しています。いつもありがとうございます。 ![]() にほんブログ村 ↓ 気の早いすずひ。 早くも迎春の支度。いつもは「無印良品」のお飾りだったけれど・・・ 今年は ミニマルデザインがとっても素敵な こちらのしめ飾りにしてみようかなー。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.11.29 17:14:52
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