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テーマ:暮らしを楽しむ(383640)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
ふつうの日が、好きです。
お出かけの日も楽しくて好きですよ。 けれども、どっちかだけを一生続けなさいと言われたら、 わたしは迷わず「ふつうの日」を選びます。 ミニマリストさんには そういう方が多いのではないかな? とってもお天気の良い、 もの音ひとつしない、 静かな静かな ふつうの日。 夏のお布団から冬のお布団に、 家族それぞれのタイミングで入れ替えました。 (申告制) おとーさんからは、 今朝ようやく申告がありましたので、 今夜から、冬のお布団です。 (よくここまで耐えたな・笑) 来たる寒さはきびしくツラいのに、 冬のお支度というのは、 ニットでも、コートでも、お布団でも、 心がとてもポカポカしますね。 ニットは「エマール」で洗うので、 冬の寝室は、いつもエマールのいい香り。 黄色い方のパッケージのエマールの香り、 すずひ家の人々、みんな、とても好きー ( ´▽`) 家事って、暮らしって。 行動の源は、 「どうにかしてあげたいの気持ち」がほとんどのような気がするのです。 人はツラそうな人や、 お腹を空かせた人を見ると、 反射的に「どうにかしてあげたい」と思ってしまうものと思います。 どうにかしてあげたいという気持ちって・・・ずっと「優しさ」なのだと思ってた。 小さい頃から、そう教わってきたような気もします。 けれども。 電車の中で体調の悪そうな人に声をかける、席を譲る、などは別として、 なんでもない時の、ふつうの時の、とりわけ「メンタル的」なことにおける 「どうにかしてあげたい」とか「どうにかしてあげなくっちゃ」というのは・・・ そのほとんどが、実は。 「その人の思い上がり」なのですよ というお話を聞きました。 えー、そんなー (;_;) 困った人を放っておけないのだから、 めっちゃ優しく親切な人、って感じがするのにー (;_;) 「どうにかしてあげよう」は。 深層心理的には、 こちらが相手を下に見ている証拠の「思い上がり」に他ならないのだそうです。 ボタンがうまくはめられない、 靴紐をうまく結べない、 それを「どうにかして」あげたくてこちら(親)がやってしまうのは・・・ 確かにその通りですね。 相手にはそれができない、とハナから決めつけている。 とても失礼なこと、と。 (;_;)確かに 自分を変えられるのは自分だけなのだから、 もっと相手の力をちゃんと信じて、 「どうにもしないで見守る強さ」を持つことが大切、と。 自分に自信のない人ほど、 「黙って見守る」というプレッシャーに耐えられなくて、 つい口出ししたり、アドバイスしようとしたり、 優しいふりして手出しして、助けてしまうのだそう。 わ!でた!出ましたよ! 〇〇なふり! 優しいふり! ああ、わかるー。 わたし、そうだー (;_;) **************************************** 昔はね、 もう寒くない? まだこのままでいいの? とか 家族とはいえ他人のお布団のことまで心配してました。 自分の思うタイミングで入れ替えることで、 結局は自分が安心したいんですね。 朝晩ちょっと寒くなってきたね、という会話があったとしても、 今すぐ布団を替えて欲しいかどうか、とは、 また別の話、なのですね。 「片付けたい」「捨てたい」「痩せたい」と年中言っていても、 本当に本人が本気で行動に移したいと望んでいるかどうか、は、 また別なのと同じように。 相手の力を本当に信じているのなら、 「ああしたら?」「こうしたら?」というアドバイスは、 本当は全て「余計なこと」なのかもしれません。 ************************************** 「何かをしてあげる」 家事って、全てがそうなりがちだから むずかしい。 やり過ぎればやり過ぎるほど、 相手が自分の頭で考えるチャンスや、 自分の意思でどうにかする力や、 まるで相手の可能性そのものを奪っているような・・・ わたしは散々奪い散らかしてきてしまったような、 ああ、そんな気すらしてきてしまいます (´;Д;`) ウッ < 気持ちが凹んだため、一旦休憩 > 「解決は相手がするもの」「相手のもの」 このスタンスを決して崩さないことが何よりも大切なのだそう。 アドラーの提唱する「課題の分離」と、これはとても共通していますね。 家族間の、 ごくごく近い関係性の中で、 そこまで「課題」を割り切るのはとても難しいことだけれど、 やってあげすぎてしまって「味を占めさせない」ことが大切です!と。 家族に味を占めさせない、と!? なんとキビシいことよ!!(泣) ↓ この「端っこ」がとっても美味しかった! 端っこだけ食べていたいほどに! ************************************** ああ、そういう発想はなかったなあ。 やればやるほどいいお母さん、ではないなんて、ね。 家族のために何かやれることが嬉しい、みたいな感情って おそらくどなたにもあるでしょう? そんなわたしエラいぞ! 優しいぞ!よくやってるぞ!みたいな、ね。 けれど。 これもまた「人に尽くせばわたしは受け入れてもらえる」とか、 ひいては「尽くしていないと受け入れてもらえない」という不安? あなたの「自尊感情の低さゆえ」なのですよ、と。 家事をしても、しなくても、わたしには価値がある。 そう思えていない証拠。 ああー 完全に見破られた気がするー (;_;) できるはずの家事をサボると、 わたしは「罪悪感」すらおぼえます。 つわりの時などは、 脱水症状がひどくて起き上がることもできなくなっているのに、 それでも家事をできないことの罪悪感の方が苦しくて、 わたしは あと少しでノイローゼになりそうでした。 わたしは・・・重症ですよ(笑) YASUKOさんのところで知った「ミックスベリー」。実が大きくてとっても美味しい! ************************************** 「どうにかしてあげたい症候群」を脱するには、 自分のできることの限界をわきまえることが第一歩。 それはすなわち、 相手の「生きる力」を信じる、ということ。 自分の心のあり方は、 自分にしか選べないのだから。 その人がどうありたいか、とか その人の快適さだって、その人にしかわからない、ということ。 御歳52才。 もはや初老とも呼べる おとーさんが。 今朝の今朝まで「夏のお布団」で大丈夫だった衝撃のように、ね! (しかも「接触冷感仕様」のやつですよ・笑!) ************************************** ああ、相手を尊重する、って。 寒いだろうから、って思って、 勝手にお布団替えてあげよう、としない どうにかしようとしないって・・・こういうことか! 去年はできなかったことが、 今年のわたしは、できました。 「どうにかしてあげよう」を手放すのには。 「優しいふり」を手放すのと同じくらい、 わたしには、まだまだ、長く厳しい修行が必要なのかもしれません。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ ふかふかお布団にポチッとありがとう。 いつもありがとう。 にほんブログ村 「優しい」ことは とても素敵で大切なことだけれど・・・ 「優しいふり」なんて・・・ ああ、そんなの、誰も要らないよね (´;Д;`) 読者登録をしてくださっている868名もの皆さま、いつも更新を待って下さってありがとう。 今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.10.26 23:12:43
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