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テーマ:暮らしを楽しむ(383661)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
わたしたちの世代って。
周りと一緒であることとか、 常に空気を読むこと、とか、 世間の目とか、周りの大人からの評価とか、 そういうことが自己決定の軸になってしまったようなことが、 多分にしてあったように思うのです。 いつもみんなと一緒であれ。 平均か、できればもっと優秀であれ。 優秀で、おとなしく従順であれ。 「自分らしさ」や「個性」なんてとんでもない! みたいな、ね。 服の少なさで「爪痕」残したい時期が・・・わたしには長いことありました。 ごめんね。 ************************************* 「みんなと一緒であること」や「はみ出さないこと」を目指したり そうであることを常に求められてきたわたしたちにとって。 「人と違うこと」「違った存在」というのは、 「個性」や「その人らしさ」というよりも、 不公平であり、格差であり、 恐怖であり、 我が身をおびやかす危機であり、脅威、でした。 どちらかというと「良くないこと」だったのです。 それをね、 すっかり大人になってしまってから急にね、 「これは多様性ですよ!」 「みんな自由で平等だったのです!」 「さあ、お互いを認め合って!!」 「さあ、尊重!」と 捉え直そうとしたって、 そう簡単には なかなか・・・ね (;_;) がらーん の冷蔵庫。買い出し前の野菜室。ついこうしてお披露目してしまうのですが、 わたしにとって、毎回こうなることは、わりと「ふつう」のこと、なのです。 *************************************** 急激に発達してしまった SNS によって知ることとなった、 いろんな人のいろんな「自分らしさ」に いろんな人のいろんな「ふつう」に、 自分とは大きく異なる「ふつう」に、 どうしても理解できない「ふつう」に、 「多様性」や「違い」に対する耐性が、 著しく乏しい世代であるところのわたしたちが、 思わず面食らってしまうのも・・・ だから無理もないように思うのです。 今日の日記は、中1日あいてしまいましたね、 先日の日記の続き( ★ )です。 ************************************** 何かを発信しようとするとき。 若者は「何でも聞いて」と。 インスタグラムやTwitterなどのSNSにおいては、 「自身への質問を求める行動」というのを取ることが とても多いのだそう。 なぜか。 「自分語りは恥ずかしいこと」という認識。 それが彼ら世代の中に、とても強くあるからなのだそうです。 とくにSNS等で唐突に自分を語り始めるのは、 多くの若者にとって 「きわめて格好悪い行動」 と捉えられているのだそう。 ・・・・・・・・ ( ゚д゚) わたしのブログ、どうなる(爆)!!! だから、まず、質問を求める。 「なんでも聞いて」を使えば、自然に自分語りができる。 「聞かれたから答えるのだ」という体裁を取ってさえいれば、 そこで語られることは「恥ずかしい自分語り」とならずに済むのですね。 なるほどー ( ゚д゚) 質問に回答することで 簡単にコミュニケーションが生まれますし、 また質問をされるということで 「自分が誰かから関心を持たれているのだ」という 心地よい快感も得られる。 「いいね」とはまた別の承認欲求が満たされるのだ、と。 若者は、ゆえに「質問されたい」のですって。 へー そうなのー ( ゚д゚) そっか!! めっちゃ納得!! 「質問されたい心理」って、 もしかすると「若さの象徴」なのかも!! 「自分語り」が全く平気なこと、と(笑) 質問されるのが嫌だ、苦手だ、自分の頭で考えて、と思ってしまう時点で、 いかにわたしが身も心もすっかりオバハンであるか、という・・・ これはもう、何よりの証拠だわ ヽ(;▽;)ノ ちょっとだけ嘘でした。にんにく、お餅、パン1/2斤が、次週へと持ち越されます ( ´▽`) ↓ この青森にんにくが、とっても便利でよかった!なくなったらリピートしよう! ************************************** おっと話が逸れかけてしまいました。 お話を「爪痕」に戻しましょう。 わたしたち世代にとって、 たとえば自分語りをするにしても、 あるいは質問にお答えするのだとしても、 何か発信するときに、最もむずかしいと感じるのは。 何か特殊な特別なむずかしさ、よりも、 いろんな「ふつう」のあることのむずかしさ、なのではないでしょうか。 自分にとっての「ふつう」を、 不特定多数のお相手を傷つけることのないように伝えることって、 実は、とても、ものすごく、むずかしい。 たとえば、です。 「〇〇する人がいるけれど、わたしはしないです。」 「わたしは〇〇は利用しないです。」 「〇〇と言う人がいるけれど、わたしはそうは思いません。」という主張には、 逆側にあるものを否定(攻撃)するニュアンスが どうしても漂います。 いわゆる「匂わせ」ですね ( ´▽`;) その人の個人的な主張を、 その人にとっての「ふつう」を正当化するために、 「自分たち側を否定された!」 「こちら側を(ダメなもの、間違ったものとして)引き合いに出された!」 「敵認定 」 (`・ω・´) というように、 〇〇側にいる人は、 これをとても敏感に察知しますし、 裁かれたかのような不快さを感じるのだと思います。 しかしこれね、 裁かれた側である時には敏感に気づくのに対し、 裁いた側である時には そのことになかなか気づけないでいることが、 悲しいくらいに、あるのです。 1本残っていたバナナは、おやつで消費。生鮮の廃棄・・・今週もゼロです! ( ´▽`) **************************************** そういう書き方ばかりしていた、 気をつけることができなかった時期が、 わたしには長いことありました。 言葉を大切に思う時。 そしてこの場所を大切に思う時。 それではいけなかったのだ、 このままではいけないのだ、ということに、 ある頃、気づいたのでした。 気づかせてもらうことができたのでした。 今でもそれでもやっぱり、 失敗してしまうこともあるのだけれど。 一つだけわかったのは。 こんな多様な価値観溢れる世の中にあって、 自分のしていること(だけ)を、「正当化」しようとすると、 たいていの場合、失敗しますね(泣) ステキな花屋さんのステキなアレンジに、 心の底から感動するけれど、 そういうお花屋さんだけになってしまっては きっととても困るのです。 特別に好きなパン屋さんや 愛してるサンドイッチ屋さんはあるけれど、 だからと言ってそれ以外のパン屋さんを認めない、というのは違う ( ´▽`) いろいろあるからいいのです。 多様性って、そういうこと。 暮らしの発信も それと同じで。 そこを間違えてしまうと、 書くのも、読むのも、とても苦しい。 ************************************** 爪痕を残す。 という言葉がありますね。 新人タレントさんなどがテレビ出演するとなれば、 「とにかくなんでもいいから爪痕残してこい!」 などと事務所から言われたのも、もはや昔の話。 今は「爪痕残さないタレントさん」の方が、 なぜか視聴者から支持され、 長く愛されるんですって。 過激なこと言ったりやったりする、 いわゆる「ぐいぐい系」や「爪痕系」は、 もはや「古い」のだ、と。 わかるような気がします。 しかし爪痕残さず印象に残ろう思うと・・・ それってめっちゃ大変なことよ (;▽;) ? ブログも、同じよ (;▽;) ? **************************************
この言葉は、とある番組内で、中居くんによって発せられた名言。 「みんな爪痕残そうとするけど、残さないのも立派な爪痕。」と。 そうね。 爪痕を残さないことは、 それはきっと、とても美しいこと。 ************************************** やたら爪痕残したかったり、 やたら自分を正当化したかったのは、 「圧倒的に自信がなかったから」そして「不安だったから」だと気づいたの。 「自分を正当化したがること」と「強がること」は、似ている。 心の焦りや波立ち方のようなものが、とてもよく似ている。 じゃあ今は自信があるのか、といったら、 それとはまたちょっと違うのかもしれないけれど、 今のわたしの暮らしが、 わたしはとても好きなのです。 昔は大嫌いだった「自信のなさ」や「弱さ」や「欠点」も、 それも大切な「伸びしろ」だと、今は思ってる。 自分の良いところだけでなく、 ダメなところも全てひっくるめて、 まだまだなところもひっくるめて、 50歳になった今のわたしのことが、 なんだかとても好き。 人生の中で、多分、今がいちばんに。 ************************************** 子供の頃や、若い頃は、 自分を好きだと思えたことはあまりなかった。 周りから本当に好かれていると思ったこともなかった。 友達の多い、誰とでも仲良くなれる風な子でしたが、 みんなの前で明るいように、 うまいこと大人を安心させ、 先生に好かれるようにしていただけ。 子供ながらに、ものすごく無理をしていた。 「無駄な爪痕」ばかり残していました。 そういう子って、わたしたち世代には、 男女問わず、 とっても多かった気がするな (;_;) 素敵パン屋さんのクロワッサンも好き。 昔ながらのメロンパンも好き。 ステキな花屋さんの花束が好きだけれど、 けれどそのままお墓にお供えできるよう上手にセットされた、 ユリや菊やデンファレの花束も好き。 かすみ草だって、大好きだ! ************************************** 「爪痕を残さないのも爪痕。」 そう言った中居くんにね、 共演者の方からは 「そんな爪痕ありますか!?」 との声。 「あるあるあるある」と、中居くん。 わたしも「ある」と、思います。 せっかく残すのなら「爪痕」よりも。 「安らぎ」や「愛情」や「優しさ」 「心地よさ」や「思いやり」や・・・「可愛げ」? そんな「痕」を、 自分の人生や、大切な人の記憶に残したいし、刻みたい。 そういう人になりたい。 そういう文章を書ける人になりたいし、 そんなおばあちゃんに なってゆきたい。 50歳の今。 とてもそう思うのです。 おわり 長い日記、最後まで読んでくださってありがとう。 いつの時も、何歳であっても。 「今がいちばんいい」と思いながら生きてゆけたなら・・・とても幸せですね ( ´▽`) ↓ 「服の少なさ」を、今は心から楽しんでいます。 いつもポチッとありがとう! にほんブログ村 ↓お子の大学では、待望の対面授業が、4月からようやく本格的に再開されるのだそうです。 にほんブログ村 ↓昨年度は、本当にただの一度もキャンパスに通うことの許されない「未曾有の1年」でした。 にほんブログ村 先の見えない中で、長引くリモート講義を耐え忍び乗り越えた大学生みんなの春を・・・ 膨らんだつぼみも、そっとお祝いしてくれているようです ( ´▽`) 読者登録をしてくださっている1131名ものみなさま・・・ 更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとう ( ´▽`)ノ あなたとあなたの大切な人が、 今日もどうぞお健やかに、微笑みいっぱいの1日をお過ごしになれますように・・・ : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.03.30 10:56:27
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