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テーマ:暮らしを楽しむ(383676)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
あなたが人生の中で、
何か「良い影響」を受けた時って・・・ たとえば、どんな時でしたか ( ´▽`) ? わたくしの「良い影響」を受けたときって、 振り返れば、いつも「できないことへの憧れ」や その人に対する「すごいなー」だったと気づく・・・ もう半袖じゃないと暮らせないような、4月のある日。 助けて、4月なのに、この暑さ ( ;∀;) 「なにくそ!」とか「負けるもんか!」からの影響は、 たとえがっつり影響受けて、 やがてそこを目指した努力が実ったとしても・・・ 発端の、そもそもの感情が「それ」ですと、 結局、しんどい。 ずっと、永遠に、叶っても、ツラい (;_;) なんにでも点数をつけられ、 順位をつけられ、競わされ、 優劣を比較され、 そして「その中で勝て!」「勝ち続けろ!」という・・・ そういう価値観に支配された時代を、 それを求めるのも求められるのも当たり前、の時代を生きてきたのが 今の大人なような気がします。 ****************************** 「なにくそ!」とか「負けるもんか!」の どこがツラいのかと申しますれば、 相手や周りを「仲間」だと思えなくなるところです。 まるで仇(かたき)か、敵。 いつか見返すべき 憎き相手。 そういう殺伐とした世界になっちゃうでしょう (;_;)? とてもしんどく、苦しい世界。 ******************************* その一方では個性や衝突を禁じられ、 頭髪検査をされ、服装検査をされ、持ち物検査をされ、 ひとりひとりの特性に対し組織はとても無理解で、 「みんなと同じであれ」「横並びであれ」を強制される矛盾。 みんなの考えと違うことを言ったりやったりする個性的な人は だから「苦手」だと思ったし、 どうしてみんなと同じようにできないんだろう、と思ったし、 こちらの聞きたくない種類の話をする人は「危険な人」だったし、 なにこの変な人 Σ(゚д゚lll)! だったし、 だから「嫌い!!!!」 だった。 ********************************** 暮らしの発信って。 とてもデリケートなものだと感じるのです。 暮らしの価値観はあまりにも多種多様ですし、 いろいろな「その人にとってのふつう」がありますし、 意気揚々と発信を初めてみたのはいいけれど、 とてもむずかしいものだ、と くじけそうになっていた時期がわたしにはあって、 「あなたが楽しく暮らす姿を見せてゆくだけでいいのよ」と。 この言葉に、とても救われたのです。 言葉を尽くして説明したり、 自分のしていることを正当化すべく めらめらと躍起になるのではなく 自分とは違うやり方をしている人を変えようとしたり、 ああはなりたくない、という 成れの果てを見せるでもなくて(←これは「脅し」ですね・笑) また「こうするといいですよ!」と、 優しい笑顔で、一見すると柔らかな言葉で、 実はこちらの思い通りになるよう「誘導」するのでもなく・・・ あなたが楽しく暮らす姿を、 ただ見せてゆくだけでいい、 と。 それが何よりの「説得力」になるのだから、ね、 と。 楽しく暮らす姿を見せる。 楽しく生きる姿を、ただ、見せてゆく。 本当にその通りですね (;_;) これは多分「子育て」においても そうですね (;_;) こんな可愛い姿におめかしさせてもらえるなんて・・・なんて幸せなパンなのだろう ( ´▽`) ********************************* わたし、最近ね、そんな「良い影響」を受けたのです。 ずっと嫌いだと思っていた人のことを、好きになった。 その人が 楽しそうに、元気に、とても「その人らしく」生きている姿を見て、 わあ、すごいなー! って。 ******************************** 楽しそうに、幸せそうに、なにやら何かをやっている。 ややこしい説明をするでもなく、 意地悪な嫌味のひとつを言うでもなく、 反対側にあるものを否定するのでもなく、 それが家族であろうとも、 友達であろうとも、 見知らぬ誰かであろうとも、 わかってもらおうとして何かを働きかけるのではなく、 楽しそうなその姿をただ見せるだけでいい、というのは、 きっと、本当。 誰かを嫌うエネルギーは、誰より自分を傷つけている。 相手を呪っているようでいて、 実際には己のパフォーマンスを 著しく低下させている。 呪ったお相手のほうは、 あなたが嫌えば嫌うほど、 むしろますます輝くってもんです(笑) それは 現実の世界であっても。 そして インターネットや SNS の世界、であっても。 いろいろなブロガーさんがこの春夏に「黒白ギンガム」を推してくれてる! 嬉しいな! *********************************** 相手の魅力に気がつける人になることこそ、 自分の良さにも気づくことができるようになる秘訣、 なのかもしれません。 この人にはどんな魅力があるんだろう、と、 まずは素直に関心を持つ、ということ。 「好き」「嫌い」を自己中心的に判断するのはとても幼稚で、 そしてとても「もったいないこと」だったと気づいた・・・50代。 やっと気づいた 51歳 (遅) いやこれ、10年前の、 40歳前後のわたくしでは、 もしも誰かにそんなことを語られても、 それを信じることをしなかったでしょう。 「嫌い」はいつも、永遠に「嫌い」なままでいい。 好きに転ずる経験を・・・ わたしは、したことがなかった。 嫌いだった人を、好きになる、勇気。 *********************************** どんな人にも、どんなものにも、 どんなことにも良いところとそうでないところが必ずあって。 けれど魅力的なのなら、魅力のほうに関心を持つ。 そうすると、好きなものがふえる。 好きなことがふえる。 好きな人がふえる。 魅力に気づくことのできるそんな自分のことも、好きになる。 好きな人や 好きなものがふえる場面って、 子どもの頃は、暮らしの中にたくさんあった気がします。 すっかり大人になると、どうしても少なくなっちゃうから、 だからこそ。 たとえ「ひとつ」でも、「ひとり」でも、 余計にとても嬉しいですし、 芽生えたこの気持ちを 大切に大切にしたいと思うのです ( ´▽`) 年齢を重ねるって・・・ いいですね ( ´▽`) おわり 今日もお読みくださって ありがとう。 ↓ 少しお休みをいただいていた「日記ブログ」カテゴリでの、リスタート、です。 にほんブログ村 あらためまして「すずひ」です。 どうぞ よろしくお願いします ( ´▽`) ↓ バナーをポチッと応援してくださる あなたさまのお気持ちは、 にほんブログ村 いつも、わたしの発信するエネルギーの源になっています。 ありがとう。 フォローをしてくださっている たくさんのみなさま。 更新を楽しみに待ってくださるお気持ち、とてもうれしいです : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.04.15 15:55:16
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