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テーマ:好きなCM(443)
大学1年の頃のCMです。CMソングの歌詞「♪見てみてかーるくなっちゃった。ふんわり軽~いマーガリン、かるーいおいしさー、ネオホイップ新発売!」は今でも口ずさめるほど鮮明に覚えています。相本久美子さんは当時土居まさるさんのTVジョッキーのアシスタントで活躍されていました。ボーイッシュで足の長いところが魅力的でした。番組の景品の白いギターがすごくほしかった思い出があります。
YouTube:1978年 懐かしいCM 昭和53年 2022.5.7内容の追加 現在でも、歌・バラエティ、ドラマ等にご活躍中です。私より1歳上ですが、お孫さんもいらっしゃるとは思えない若さです。 相本久美子オフィシャルブログ ********************************************************************************************************* Wikipedia:相本久美子 1958年5月27日誕生。中学3年在学中の1973年9月1日、牧葉ユミのサイン会場に於いて牧葉本人から直接スカウトされ、1974年9月21日、「近藤久美子」の芸名とシングル『小さな抵抗』で歌手デビューする。新座市立第二中学校、明治大学付属中野高校夜間部卒業。 1975年、雑誌の企画で西城秀樹と共演したことがきっかけで芸映プロに移籍する(相本によれば複数の新人歌手と西城との連載企画だったが、取材終了後、西城が芸映に彼女の移籍を推薦したという)。翌1976年に本名の相本に改名、以降、歌・ドラマ・司会・雑誌のグラビアと多方面で活躍し、マルチタレントの先駆け的な存在となった。 代表的な仕事としては1976年から1981年まで務めた『TVジョッキー』の司会が挙げられる。メイン司会の土居まさるの補佐兼マスコット的なポジションだったが、(番組内の「奇人・変人コーナー」の参加者の去り際に相本が言う参加賞の「白いギターとジーンズをお持ち帰り下さい」は常套句であった)この番組は生放送だったこともあってハプニングが絶えず、頭の回転が速い彼女は時に、蛇が苦手だった土居(出てくると場を放棄して逃げていた)に代わって進行を取り仕切ったことも多々あった。 また、当時『TVジョッキー』の衣装にミニスカートを選ぶことが多く、均整の取れたスタイルと長い手足にミニの衣装や水着がよく映えたことから、この時期、数多くの雑誌のグラビアや表紙を飾ることになった。 Wikipedia:TVジョッキー 『TVジョッキー』(テレビジョッキー)は、1971年1月10日から1982年12月26日まで日本テレビ系列局で日曜日に生放送された視聴者参加型のバラエティ番組。 愛称は『テレジョキ』。 ●奇人・変人:参加者が変わった特技を披露するコーナー。放送が昼食時であるにも関わらず、「ミミズをざるそば代わりに食べる」「頬に針を突き刺す」「マムシをバラしシマヘビの風呂に入浴する」「剣山の上に寝る」「牛乳とコーヒーを飲んで目からコーヒー牛乳を出す」「ゴキブリを飲み込む」などといった、グロテスクなネタも多かった。ヘビが苦手な土居と児島は、ヘビを使う場合にはスタジオの隅に逃げて司会を放棄、アシスタントが児島時代はゲストが、相本時代は相本が代わりに進行していた。ただし、次の出演者のネタが相本が苦手なものが登場したことがあり、あわてて2人が入れ替わるという回もあった。 ●珍人集合:特定のテーマに対し、『我れこそ珍人』という自慢の視聴者が参加、如何にテーマに沿っているかを競うコーナー。「ダイコン足大会」「ペチャパイ大会」「馬面大会」「いい形のおへそ大会」「デカ尻大会」「毛もじゃ大会」「男子ボインちゃん大会」「女子ボインちゃん大会」「オカマ大会」など、テーマは様々。 以上2つのコーナーにおいては、優勝すると、観客席から大量の紙吹雪・紙テープやクラッカー(番組開始当初はスタジオ上部に吊るされたくす玉割りも)での祝福を受け、そしてお約束である白いギターとEDWINのジーパンの贈呈式が行われた。なお生放送であったため紙吹雪などは放送が終わるまで散らかったままだった。 ●ザ・チャレンジ:ものまね、パロディー、ギャグ、コントを始めとする、一芸を披露するコーナー。このコーナーからは、とんねるずや竹中直人、柳沢慎吾、たけし軍団の井手らっきょ、ギタリストの鈴木賢司などがタレントとして巣立っていった。当時のお笑い界の登竜門とも言える存在だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.05.07 17:44:18
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