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テーマ:仏教について思うこと(1039)
カテゴリ:宗教
新型肺炎で不安のうちに開幕した東京五輪も予想外の金メダルラッシュに沸いています、新型肺炎や酷暑といった悪条件下での地元開催の有利さが働いているようにも思えますが。
仏教美術では、金閣寺とか、中尊寺金色堂とか、金の仏像とか、金色に昔から縁があります。これは信者に仏教界の理想を感性的に確信させるためだそうです。金色のお寺、仏像、仏壇を昔の人びとは見て、光り輝くまばゆい極楽浄土の世界をイメージして信仰を深めていったのでしょうか。 ところで、築地本願寺のサイトの解説にある悉皆金色という仏教の言葉は、すべてのいのちが金色に輝いているという意味だそうです。 金メダル何個とか、学歴、仕事、収入や財産の多寡、障害・介護の有無とか、とかくこの世の中は物差しで物事を判断しがちで、それを捨てるのはなかなか難しいです、物差しが無くなったら社会が回らなくなるようにも思いますし。 ただ、光明寺さんの法話にあるように、そういった物差しの愚かさに悉皆金色という言葉は気づかせてくれますので、それを踏まえて生きていくと、ちょっと良い人生が送れるのかなと思いました。 2021.8.19追記 築地本願寺の近くまで来たのでパチリ。 署名のところに「や」とだけ書いてありますが、どなたが書かれているのでしょうか。味わい深い書体でうらやましいです。自分は左利きで書道は苦手でしたが、相田みつをさんの字や書体を拝見すると心が癒されます。 2021年8月 今月の参拝カード:築地本願寺 ■参考リンク 「ものみな金色なり」 H24.03:光明寺 阿弥陀さまの願の一つに「悉皆金色(しっかいこんじき)の願」というのがあります。 これは阿弥陀さまのさとりの世界である浄土では、すべての「いのち」が金色に光り輝いており、一つとして輝いていない「いのち」はない、一つとして無駄な「いのち」はない、と誓って下さっているのです。 つまり、仏さまの目から見れば、すべてのいのちは本来金色に輝いており、すべてのいのちは平等である、ということです。 ところで、長年、京都女子大学で仏教学を教えてこられた徳永道雄先生(京都女子大学名誉教授)は、一年間の最後の授業で、このような阿弥陀さまの願いの心を説明され、学生さんたちに、「すべてのいのちは、いついかなる時でも金色に輝いている」という意を込めて、「ものみな金色なり」と、ノート一面に大きな字で書かせ、この言葉を社会に出て行く彼女たちへの「はなむけの言葉」とされていました。 ある時、教え子の一人から、「この言葉によって救われました」というお礼の手紙が先生の所に寄せられました。 その教え子というのは、卒業後、結婚され、やがて待望の赤ちゃんに恵まれますが、そのお子さんは生まれながらにして重い障害を抱えていたのです。 最初は二人で頑張って育てていましたが、次第に夫婦仲もこじれ、二人は別れることになりました。 お子さんと二人暮らしになった彼女は、一生懸命頑張りました。 しかし障害者への世間の目は冷たく、時には心ないことを言われることもありました。 彼女はほとほと疲れてしまい、とうとう「もうだめだ。この子と二人で死ぬしかない」とまで思い詰めるのです。 以下略。 仏教美術や仏教建築にはなぜ金が多く使われているのか、その理由が知りたい。 ・『仏教美術事典』東京書籍 2002の説明が簡潔です。 p.245”金(きん)”の項によると、 「殊に仏教美術では、仏の三十二相に金色相が含まれることや、仏国土や仏の説法の場を 善美を以って飾りたてる荘厳(しょうごん)の意味から美術作品に金が多用されてきた。 (中略) 金は装飾性と聖性という両義性を有しており、そのため仏教美術では特に好まれた といえよう。」とあります。 また、p.248”金箔・銀箔”や、p.441”荘厳(しょうごん)”の項でも同様の説明があります。 それによると、仏教芸術に金が多用されたのは、金銀の他に「玉、螺鈿、朱などの高価な財宝がふんだんに用いられた」”荘厳”の一環でもあり、仏の姿や仏の世界のイメージを「現実の可視的な空間に再現する」ことで「信者に仏教界の理想を感性的に確信させる」ためともいえるようです。 No.206 日本の色と形4 「金」 -色と光と- :福岡市博物館 抜粋 ■聖なる光 金が使われている日本の古美術で最初に思い出されるのは仏画や仏像などの仏教美術でしょう。お経にも、紺紙に金字で書かれたものがあります。仏教では、仏の肉身は金色と定められています。奈良東大寺の大仏も、作られた当時は黄金に輝いていたのです。また、仏殿の装飾にも、鮮やかな原色とともに金色が使われました。仏教美術の金は、色彩ではありません。それは仏とその教えの尊さを光の輝きにたとえて人々に感じさせるものだったといえます。仏殿の荘厳(しょうごん)に鮮やかな原色を用いるのも、赤と緑、黄色と青などの補色関係にある色彩の境界は、発光現象といって、じっと見つめていると光輝いて見えてきます。こうした色彩の心理的効果も仏教美術は巧みに利用しているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.08.19 20:49:24
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