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秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2024.04.16
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カテゴリ:旅行 Travel
3月23日、宮島を出て山陽本線に乗って岩国の錦帯橋に行ってきました。

あいにくの雨で、景色は良くありませんでした。これが晴れて、10日後くらいの桜が満開時だったらと思うと残念です。桜祭りのぼんぼりが雨に濡れてさびしげでした。

錦帯橋は木の橋で、一段の高さが低い階段状になってます。動画を撮りながら歩いていたら、階段につまずいてずっこけそうになり危なかったです。

橋の下の川の岸には石が敷き詰められていて面白かったです。


10日後の桜の満開時はこんな感じだったらしいです。残念!


岩国駅から錦帯橋まで乗ったバスのシート。どっかで見たゆるキャラと思ったら、都バスのミンクルです。都バスのおさがりというか、リユースというか、ボディーだけ塗り直して内装はそのままにしたんでえしょう。ここでまさか再会するとは。


確か、錦帯橋のバス停で見つけた宇野千代さんのお言葉。
感動は行動に結びつき人生を愉しくする


東京に帰って調べたら岩国の御出身だそうです。興味をもってアマゾンでこの言葉の掲載されている本を買って読み始めました。単なるポジティブシンキングとは別の独自のお考えで、ついついページが進みます。男が読んでも参考になると思います。

山口いいとこ発見!さんの収集された宇野千代さんの名言はなかなか心に響きます。
山口いいとこ発見!宇野千代の名言・幸福を感じて生きるための大切な言葉たち更新日:2023年12月18日 公開日:2022年2月17日山口県ゆかりの人物岩国市、和木町


NHKアーカイブス:宇野千代うのちよ作家



生き方についての343の知恵 行動することが生きることである (集英社文庫) 文庫 – 1993/10/20宇野 千代 (著)


山口に行く前に読んだネット記事で周南の工場夜景がきれいだとありました。徳山駅近くの徳山ポートビルからの眺めが良いとの事だったので、徳山駅で降りてちょっと観てこようかと思っていましたが、雨で見通しも悪く遅くならないうちに湯田温泉までいかなければならないので、今回の旅行では断念。次回にチャレンジです。関東の工場地帯の夜景でも観に行こうと思います。


■参考リンク
Wikipedia:宇野千代
宇野 千代(うの ちよ、1897年〈明治30年〉11月28日 - 1996年〈平成8年〉6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。日本芸術院会員。
来歴
生家
尾崎士郎と結婚していた時期(1926年 - 1930年)に撮られた写真
山口県玖珂郡横山村(現・岩国市)出身。実家は酒造業を営む裕福な家だが、父親は生涯生業に就いたことはなく、博打好きだった。千代が幼いころに母親がなくなり、父親は千代と12歳しか違わない若い娘と再婚。千代は実母と思って育ち、大変慕っていた。この継母が「おはん」のモデルとされる[2]。
岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)卒。14歳で義母の姉の子(従兄)藤村亮一と結婚するが10日ほどで実家へ帰る。小学校の代用教員となるが退職。その後朝鮮京城へ行くがとんぼ返りで舞い戻り、元夫の弟・藤村忠と結婚。京都に住んだあと上京。本郷三丁目の西洋料理店・燕楽軒で給仕のアルバイトを18日間している間に久米正雄や芥川龍之介と知り合い、今東光とは親交を結んだ[3]。その後北海道へ行くが、1921年(大正10年)『時事新報』の懸賞短編小説に『脂粉の顔』が一等で当選し作家としてデビュー。
以下略。

周南工場夜景





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Last updated  2024.04.18 23:49:49



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