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カテゴリ:社会・政治
ついこの前、「いじめ」で自殺してしまった中学生の問題が取りあげられたと思ったら、 今度は「体罰」からの自殺。 「自殺」から発覚した多くの事例の中には、平手打ちで耳に損傷を受けた生徒がいるよう だが、多くは精神的な苦痛だろうと思う。 それにしても自殺にまで追い詰められるということが、私には理解できない。 その前になぜ第3者に訴えることをしなかったのか。 「どうせ・・・」とあきらめ、残り多い人生もあきらめたのかも知れない。 残されたご両親のことを思うと、残念・無念。 私も小学生の頃、体罰を受けた経験・記憶は鮮明である。 なぜなら、無実の体罰だったからである。教師の名前は忘れない。 社会人になってからも・・・上司と合わず「私だけがいじめられている」と、 思い込んだ時もある。 4年ほどでその上司は異動し、わが世の春になった。 その経験から、辛いことは永遠に続くものではないことを初めて認識した。 話が変わるが、私は昔から運動神経が鈍く体力もない。 某夜間短大に入学し、クラブ紹介・部員募集で「山岳部」に入部した。 部の名称が「親岳会」で誤解していた。 「どうせ、ハイキング程度だろう」となめてかかっていたらとんでもない! ごくごく一般の山岳部だった。 当時は某私大のワンダーフォーゲル部での「しごき事件」がマスコミを にぎわせたときでもある。(部員はしごきで死亡。) 私はまだましな山岳部にいると自分に言い聞かせた。 山行のたびに退部したかったが、2年目くらいから面白くなってきた。 あのとき退部していたら、いまの自分はなかっただろう。 「自殺」の報道に接するたび、いまの人は年齢によらず「打たれ弱くなってきたのでは?」 と、つくづく思う。 こんな本に出会って、読んでいる途中。 「一億総ガキ社会」・・成熟拒否という病:片田珠美著 2010年 著者(精神科医)が臨床現場で感じている3つの特徴的な傾向――1.ひきこもりの増加にみる打たれ弱さ、2.何でも他人のせいにして切り抜けようとする他責的傾向(モンスター・ペアレンツ、モンスター・ペイシェンツ)、3.覚醒剤や合成麻薬などにすがる依存症の増加――を紹介している。 苦痛を乗り越える努力はそれが「悪あがき」であってもすべきと思う。 乗り越えられなくても「断念」という手がある。 しかし、断念が「自殺」であっては断じてならない。 福浦に住みつく猫がずいぶん人懐っこかった。 こんどはキャットフード持参かな? ジュンは焼きもちもせず、猫様もジュンを怖れず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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