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カテゴリ:ジュンの回想
2013.1.4 福浦のヘリ基地丘へ ジュンを看病している頃、トキオの「山口達也と愛犬じゅのんの16年間」を 観た。(2月14日放送の天才!志村どうぶつ園。) 番組の中で、彼は「もっとジュノンにしてあげることがあったのでは」と 自然に涙を流しながら語っていた。 私も2代目コロを亡くしたとき同じ思い、「もっともっと 何かを・・・」。11歳の6年生の時である。 その頃は人とか犬とかを忘れ、「死」を考えた。 「死別」を考えた。 最も死に向かいやすい職業。軍人。 戦争映画では同僚を亡くした兵士が泣く。 上官はその事態を冷静に受け入れる。 上官はあまりにも多くの悲しみを乗り越えてきたのだろう、と思った。 こんな番組も観た。 『中居正広の「終活」って何なの?ー僕はこうして死にたいー』 2月21日(土) フジテレビ2時間特番 「乳がん」を宣告されても、治療には応じず自然にいきたいと かたくなに意思を貫く女性。 インタビュー中にも急な激痛におそわれひっくり返る。 手術、放射線治療、化学療法・・・彼女はすべてを拒絶し、 自然の宿命を待つ。頻繁に襲う苦痛にもかかわらず。 番組終盤で医師が「緩和治療」について、苦痛を和らげるのも 治療の一部と解説しする。 ジュンにしてあげられたことは何だろう。 ジュンに苦痛が襲っているだろうことは類推できる。 しかし、ジュンはのたうち回ることもない。 ⒉月の中旬。私はジュンの治癒が不可能なことを悟り始めていた。 ジュンとの13年間。コロと死に別れてから54年目。 あのときの反省からジュンとは思いっきりしたいことをし、 ジュンの望むことを推し量り、楽しく過ごしてきた。 ジュンの写真をめくり、彼女の残してくれた笑顔で癒やされる。 「ジュンにもっとしてあげられたことはなんだったのだろう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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