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テーマ:今日の一言(1629)
カテゴリ:***** 伝記 *****
マリー・アントワネットの生涯はあまりに有名で、書きつくすことができません。
ですから多くは書きませんが、マリーには心に残る言葉があります。 賭け事で浪費をしたマリーは、市民の反感を買います。 それにくわえ、マリーは軽率で、快楽を追う性格でした。 その結果、必要以上の非難中傷を受けることになりました。 ダイヤの首飾り事件ではマリーは被害者でしたが、非難はマリーの浪費に向けられました。 10月行進でのパンを求める市民の抗議。 これは何者かがパンを買占め、パン価格が上昇したための仕組まれた暴動。 しかも、マリーのものではない言葉が、あたかもマリーからの様に語られました。 「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに」 マリーは、こんな言葉は発していない。 この頃、マリーは賭け事をやめ、マリー・テレーズらの子育てに喜びを見出していたのに。 王妃ひとりの贅沢で、国家財政が危機に瀕す訳はありません。 また、今のマリーがどうであるかは無関係でした。 彼女は旧体制の象徴として、批判され、処刑される運命にあったのです。 マリーは自らの処刑を前に悟ります。 自分が歴史的人物になるさだめであることを。 そして深い言葉を残します。 そこには若い頃の軽率で、不注意だったマリーの面影はありません。 「不幸にあって初めて人間は、自分が何者であるかを知ります」 死を前にしたマリーは、まさに王妃でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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