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ジージの南からの便り

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クマタツ1847@ Re[1]:父の日 親を思う子供たちに感謝(06/16) New! kopanda06さんへ  ありがとうございます…
クマタツ1847@ Re[1]:父の日 親を思う子供たちに感謝(06/16) New! 蕗さん8256さんへ  まあそれぞれ事情もあ…
クマタツ1847@ Re[1]:父の日 親を思う子供たちに感謝(06/16) New! エンスト新さんへ  ほんとうにいい父の日…

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2022.07.04
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カテゴリ:Tくんの物語

 (写真は平和通り、私がいた当時はなかったモノレールが開通し街の景観も一変している)

私が銀行に入社し北九州の小倉支店に配属されて、仕事も出納・会計係、預金係を経験し、未熟ながら銀行業務にもいくらか慣れきたといことを前回書いた。
それ以前にも書いたように、小倉支店は当時のF銀行の建屋を居抜きで買ったようで店舗は立派で風格のあるものだった。ただ京町銀天街の賑やかな場所だったので今思うにF銀行も大通りに面した場所に転居したのだろう。しかし、モータリゼーションの大きな波の押し寄せる中で、支店に駐車場も無く、お客さんの要望や先々を見据えて我が銀行も馬借町に土地を買って支店を新築して移転した。

(旧店舗は小倉駅の左前方、京町2の左側あたり、新店舗は地図の真ん中、真下市立医療センターの真ん前あたりにある。銀行の前も高いところをモノレールが走る)

 新しい支店も2階建てではあったが、以前の建物の比べると小ぢんまりとしていた。
しかし、新築だけに快適な職場であった。その頃から私は「貸付係」となり、銀行のお金を貸し付けて金利をいただくという銀行にとって要のポジションの仕事をしていた。それ等を経験した後に渉外係があり、お得意さんをまわり、新規の預金の獲得や優良な貸付先の開拓という仕事が待っているというのがおおまかな順番である。

 貸付係は窓口に2人、中に1人、その上に係長という4人編成だった。私達ペイペイは窓口でお客さんの応対をするのだが、私に付くお客さんと、FRくんに付くお客さんがおり例えば私に付くお客さんはFRくんの窓口にお客さんがいなくても、私の窓口が空くまで待っているという現象が起こった。またその逆も、もちろんある。貸付はお金の貸し借りという微妙な問題なのでそういう事があっても不思議ではないと、今になって思う。月末になると返済のお金や貸付の借り換えをするために利息を払いに来るお客さんで、窓口は大忙しだ。頭を上げる暇もないくらいお客さんがズラッと並んでいる。そういう中で計算機もない時代の金利計算はソロバンで金額✕日数✕日歩を位とりしながらやらなければならなかった。慣れるまでは大変だがまあ大過なくできたのだろう。大きな事故もなかったことを考えると。

 そういう中で珍しいことが起こった。私が大学4年生のとき、当時中学3年生だった近所の子供を家庭教師として高校受験の加勢をした子供が某大学を卒業して私と同じ銀行に就職が決まったというニュースだった。そして4月になって配属先が決定し、私のいる小倉支店にくるとのこと。なんというめぐり合わせか。しかもこれには近い将来第2幕もあるのでお楽しみに!

 そういう中で、古い店舗の時からそうだったが、新しい店舗に引っ越してからも若い連中も中堅どころも銀行を辞める者が出始めた。この頃は組合の分裂という不幸な事態を引き起こすような金融再編とかがいわれ始めた時期で、先行きの不安を持つのも仕方のない情勢でもあった。私の目の前でも4,5人の者が辞めていった。他の支店でもそういう動きがあるということが入ってくる。
現代は入社数年のうちに辞める人の比率が相当に高いと聞くが、当時は「一回入ったら一生の仕事」と言われる時代で、簡単には辞めるような時代ではなかったが、現実はそういう動きが多くなっていた。

 そうする中で、結婚一年後に長女誕生、翌々年3月には長男が誕生し年子の子供を抱えることになる。
2年位前から考えてはいたのだが、そういうことをキッカケに私も将来のことを真剣に考えて転職先を探し始めた。そういう意志のある信頼のおける同僚ともいろいろ話をしたりしていた。そのうちの一人がいい会社が見つかりそうだと言う。聞くと私の窓口にみえるお客さんの紹介だと言うではないか。その同僚NKくんは渉外係としてそのお客さんを担当する中で、転職の話をしたらしい。そのお客さんSBさんは、ある安全産業の下請けとして農業の片手間にヘルメットの新品の内装付けとマーク加工・古いヘルメットの塗り替えをする業者だった。私はSBさんがその会社から仕事代金として受け取って持ち込む手形の割引を担当していたのだった。もちろんその手形を割引するためには、それまでに然るべき調査はやった上でのことだったので、大体のことはわかっていた。しかもその会社は伸び盛りで二人でも三人でもいい人がいれば採用するという。しかし肝心なNKくんは別な会社に行くことになってしまった。私は直接SBさんに話をして会社のことを聞くなどし、面接にまでこぎつけた。

 そして9月某日、八幡東区にあるその会社の九州支店に赴き常務取締役の支店長の面接。
話はトントン拍子に進み、就職決定。その会社が11月20日が半期の締め日ということで11月21日からの出社となる。銀行には11月20日付けの退職届を提出し、受理される。その後バタバタと八幡西区の会社と妻の里に近い小倉の民間アパートを借りて引っ越した。銀行在職は小倉支店にみで7年8ヶ月。
ときに昭和44年(1969)29歳の秋だった。➆





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Last updated  2022.07.05 22:10:08
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