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<きのうから続く>
ジャン・マレーが出征したのが1944年9月の初め。その約1ヶ月後のコクトーからマレーへの手紙に、次のような一節がある。 1944年10月8日 つい先ほど、ミラが電話をしてきた。彼女は君が召集されたことを知らなかったよ。そう伝えると、長い沈黙が返ってきた。あの人は君を愛している。そしてぼくは、君を愛してくれる彼女を愛している。(ジャン・コクトー『ジャン・マレーへの手紙』三好郁朗訳、東京創元社) ミラとは女優のミラ・パレリイのこと。ミラとマレーは『カルメン』の直前に撮った『天蓋つきベッド』(1942年)で共演して親密になった。だが、そのあとすぐにマレーは9ヶ月イタリアに行ってしまい、帰国後も2人はほとんど連絡を取っていなかった。『天蓋つきベッド』では、マレーはまだそれほどブレイクしていなかったが、『カルメン』『悲恋(永劫回帰)』で一挙に人気が爆発し、映画雑誌の人気投票でもぶっち切りの一位に選ばれるスターにのしあがった。こうなると積極的に動くのは世の女性の常。 マレーのほうは、コクトーの手紙でミラが自分のことを思ってくれていることを知り、まんざらでもない。ミラ自身からも戦場に手紙が届いた。マレーには休暇の特権がなく、映画の打ち合わせができずにコクトーやベラールからせっつかれていた。そんな折、結婚すれば4日間の休暇が与えられるという話が耳に入った。マレーは半分冗談、半分本気で、ミラに手紙を書く。 「結婚すれば休暇がもらえるんだ。もしよかったら、ぼくと結婚してもらえませんか。もちろん、結婚直後に離婚してもかまわないから」 この手紙を受け取ったパリのミラの様子は、コクトーからマレーに宛てた手紙に克明に(笑)記されている。 1945年2月9日 ポール(=コクトーのマネージャー)が昨日、ミラに会った。君を呼び戻すためなら、今すぐきみと結婚してもいい、あとは自由にしてあげるからと、そう言っているよう。でも、ぼくは勧めない。デルリュー(=マレーの上官)と(パリに)戻ってきてくれたら、ずっと簡単だった。この次は、君から頼まれるのを待たずに、一緒に君に来るよう君に命令しなさいと、彼にはそう言っておいたよ。 マレーのところにもミラから手紙が届く。 「ジャノ、あなたとの結婚、心から望んでいます。あなたさえその気なら、私のほうは離婚なんてもちろんするつもりはありません」 予想もしなかったミラの真剣モードにマレーはビックリ。 ――どうしよう? ――とりあえず、ほっとこう。 パリではミラがマレーからの返事を待っていた。1945年2月19日のコクトーからマレーへの手紙。 「ミラは、君が彼女と結婚するものと決めているようだ。考えてみればそう悪い考えではないかもしれないね。彼女が言っていたよ。『早く答えがほしいわ。生き方を変えなきゃならないもの』(ひどくまじめな調子だったよ)」 しかも、コクトーのコワイところは、「ミラとの結婚は悪くないんじゃないか」と言っている同じ手紙に、かつてのお気に入り俳優ジャン・ピエール・オーモンと会った話を意味深に書いているところだ。 「ジャン・ピエールに会って君の話をする。それがぼくにとってどういうことだったか、わかってくれるね?」 ジャン・ピエール・オーモンはコクトーがマレーに出会う前、「君こそ(ぼくの思い描く)オイディプスだ」と口説いて自作の戯曲に出演させた俳優。コクトーと出会ったマレーは初めのうち、オーモンを非常に意識していた(3/19のエントリー参照)。コクトーはオーモン以上に自分のオイディプスにぴったりのマレーに出会ってからは、オーモンとは疎遠になっていた。オーモンはユダヤ人だったため、戦争中はフランスを出てハリウッドに進出し、成功をおさめていたが、戦争末期にフランスに帰ってきて戦線に参加、そこで同業者のマレーと対談などしている。 ミラに対するマレーの態度はさっぱりハッキリしない。ミラの苛立ちがコクトーのマレーへの手紙からもうかがえる。 1945年3月3日 昨日バレエでポールとミラと一緒だったけれど、ミラは相変わらず裏のある物言いで、ポールが変な目で見ると文句をつける。根も葉もないことで、ポールは怒っている。君があのひとをどうするつもりなのか、まだ話してくれないね。 結局マレーは、部隊がパリへ行軍した折に、ミラの家で数日間を過ごし、「もし、これが結婚というものなら、もうその話はよそう」と言って、駐屯地へ戻った。その理由について、マレーは自伝では「タバコを買いに行くにも1人で行けなくなったから」だと煙に巻いている。 「タバコも1人で買いにいけない」は普通、2人のアツアツぶりを示す言葉。「そうなったから結婚しない」というのは明らかに変だ。これはミラへの配慮だろう。ミラはマレーの自伝が発表されたときは、すでに別の人と結婚(マレーとの結婚話から2-3年後にレーサーと結婚した)して外国にいた。マレーの自伝は特に名前を出す女性については相当配慮している。だが、コクトーがマレーへ書き送った手紙が自伝から遅れて出版されたため、マレーが自伝で語らなかった事情がかなりわかってしまった。ま、出征を知らせてないって時点で、結論は出てるワナ。 さて、コクトーのほうにも、マレーの留守中にちょっとしたことがあった。それは『美女と野獣』でヒロインのベル役を演じたジョゼット・デイ。もともと彼女はコクトーの友人である小説家・映画監督のマルセル・パニョルの恋人で、パニョルがコクトーに使ってほしいと頼んできた女優だった。ところが、その後パニョルとデイは破局し、パニョルは30歳年下(ちなみにデイは20歳年下だった)の新たな恋人を作ってしまう。 するとデイがコクトーに急接近。「あなたの子供が欲しい」と言い出したらしい。コクトーは「家族」や「子供」に対する憧れが強く、年を重ねるごとにその気持ちは強まっている。コクトーは『占領下日記』に、「息子。ジョゼットがぼくの子供が欲しいと言った。もし神の恵みがあれば、これが次のぼくの作品」と書き、すぐに線を引いて削除し、ことに「息子」のところは強く消されている。 この積極的なモーションが効を奏したのかどうか定かではないが、デイは『美女と野獣』のあと、同じコクトーの監督した『恐るべき親たち』でもマレーの相手役のヒロインを務め、南仏で撮ったコクトーのプライベート映像にもマレーたちと共に出ている。また、デイがコクトーに花を贈ったり、レストランの席を予約したりしていたことは、コクトーの占領下日記にも、マレーの自伝にも出てくる。ちなみに、デイはコクトーの子供を産むことはなく、その後裕福なビジネスマンと結婚し、映画界から引退している。 さて、『美女と野獣』の撮影を始めたいコクトーは、ツテを頼って必死に動き、とうとうルクレルク将軍から、マレーをパリに特別配属させる許可をもらう。マレーが毎週パリ滞在証明書にサインするのが条件だった。こうしてまさに「役者はそろった」のだが、『美女と野獣』にはまたもや障害が立ちふさがった。 <続く> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.05.08 10:48:58
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