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2006年にリバイバル上映された『ファントマ』。5月14日、つまり明日の午前2時からCSでも放映されるらしい。007シリーズの亜流と思っている向きも多いやに聞くが、なんのなんの。『ファントマ』は007とは全然違う魅力をもった、フランス人の、フランス人による、フランス人のための、最高に笑える「活劇」娯楽映画なのだ。
もうMizumizuは、だ~い好き。どこが好きかといえば、『ロバと王女』にも通じることだが、とにかく、まったく、徹頭徹尾ばかばかしいこと! そして、それをフランスを代表する名優たちが大真面目に演じていること。 『ファントマ』はおかしい。でも、下ネタや悪口で人を笑わせるのではない。ジューヴ警部役のルイ・ド・フュネスの職人技のような言葉のギャクと身振りの滑稽さで笑わせるのだ。まさしく上質の喜劇。喜劇の王道。フュネスを見れば、喜劇役者がどうあるべきかわかるというもの。 フランスの生んだ世紀の大悪党ファントマは、いくつもの顔をもつ。しかも、そのほとんどをジャン・マレーが演じているのだ。これってマレー? いや違う? と思って見ているだけでも飽きない。しかも、ファントマを追う新聞記者ファンドールを演じているのもマレーだから、話はややこしい。 ファンドールの恋人を演じるのはミレーヌ・ドモンジョ。ドモンジョはとびきりセクシー。でも、脱がない女優なのだ。お風呂(笑)に入ったり、シャワーを浴びたりといったありきたりのお色気サービスシーンもないし、過激なラブシーンもない。そこがイイ。そのかわり(1作目だけだったけど)、ノーブラ! ドモンジョのノーブラはハッキリ言ってすごい! ヌードより萌えること間違いなし。 ジャン・マレー、ルイ・ド・フュネス、ミレーヌ・ドモンジョのケミストリー(共演することで生まれる一種の化学反応)がとても楽しい。そこに、60年代ならではの体当たりのアクション(まさに「活劇」)とキッチュな(ときにちゃちい)メカがからんでくる。 『ファントマ』の影響力はスゴイ。たとえばこのマスク。フランスでは、ブルーグレーの大きな瞳とコーディネートしたカラーだったが……↓ その後極秘来日して、日本の誇る美白エステを施し、犬神佐清(いぬがみ すけきよ)となったというのは、すでに疑う余地のない歴史的事実。 ちなみに、マレー版ファントマはその後、亡霊となってアメリカに上陸。時を経て『ハンニバル』で蘇ったことも、レクター教授(アンソニー・ホプキンス)の立ち振る舞いを見ればほとんど間違いないだろう。まるでファントマがのりうつったかのようだった。ジャン・コクトーはマレーの演技の影響力の強さをすでに解放直後のパリで感じていた。「皆が君の演技を真似している」と志願兵となって演劇界を離れたマレーに書き送っている。ただし、ジャン・マレー自身は絶対に、レクター教授のような反社会的なサイコパスの役はやらなかっただろうけれど。 ジューヴ警部↓が『ルパン3世』の銭形警部のモデルだというのは、まことしやかにささやかれる噂の域を出ないが…… ジューヴ警部のDNAは『タクシー』(リュック・ベッソン監督)の署長に受け継がれているというのは、すでにMizumizuの信念となっている。 『タクシー5』は作られるのか否か、個人的には今、それが問題だったりしてる。『タクシー4』での悪者のクルマはレンジローバーだった。次なる悪人の車種も気になるところ。 もちろんドモンジョは、『ヤッターマン』のドロンジョの名前の由来であることは、もはや説明するまでもないハズ。 『ファントマ』の第一作は、パリのヴァンドーム広場の宝飾店にロールスロイスが乗りつけるところから始まる。ロールスロイスというのが『オルフェ』の冒頭のよう…… と思っていると、クルマから出てきたのは、とても身なりがよく、上品でちょい神経質そうな老紳士。 この紳士は思いっきり高価な宝石をたくさん買って出て行く。ところが、その直後、彼がファントマだとわかる。 映画が公開された1960年代半ば、日本ではファントマをジャン・マレーが演じる、という話は伝わっていた。で、上の老紳士を見て、「あの美男俳優のマレーがここまで老けたか!」とショックを受ける人が続出したとか(若き日のファントマ&ファンドール役ジャン・マレーの美貌ぶりについては4/10のエントリーを参照)。彼らの中には、実はそれがマレーの老けメイクで、素のマレーはファンドール記者役をやっていると気づかなかった人もいたという。 ↑これが50歳前後の素のジャン・マレー(左は恋人役のドモンジョ)。上の老紳士と同一人物だとは、にわかには信じられない。 だが、マレーは老け役が得意だったのだ。そのルーツは40代で舞台で演じた『シーザーとクレオパトラ』にある。 シーザー役の話をもって来たとき、劇場サイドは美男俳優に気を遣っていた。 「老ける必要はないよ。ジャン・マレーと契約するのは、君を醜く老けさせるためではないからね」 それに対してマレーは、 「シーザーのものは、シーザーに返す必要がありますよ」 と答えた。 マレー自身は年齢より老けられるこの役に情熱をかきたてられたという。頭髪を薄くし、鷲鼻にし、さらには声も変えて舞台に立った。 初日、シーザーを演じる自分を最前列で見ていた客が、こう言うのが舞台上のマレーに聞えてきた。 「演じてるのは、ジャン・マレーじゃないな」 この無意識に出た客の言葉を、「私の経歴の中でもっとも尊重すべき賛辞だと私は思う」とマレーは自伝で書いている。 つまり、『ファントマ』でマレーが見せた老けメイクは、その前にパリの舞台で演じたシーザー役の応用なのだ。 さて、『ファントマ』は日本でDVDにもなっているが、ファントマ役を「?」としている。確かに、変装したファントマを全部マレーがやっているわけではない。ジューヴ警部に変装したファントマはもちろん、フュネスがやっている。だが、ほとんどはマレーが変装メイクで演じているのだ。禿げ頭にしたり、ひげをつけたり、めがねをかけたりしているが、だいたい眼を見ればわかる。だが、やはりというべきか、気づかない人も多いようだ。 ネット上の『ファントマ』の感想文の中に、以下のような記述があるのを見つけた。 「(ファントマ役は)ノークレジットだけど、誰なのかな?」 マレーの言う「尊重すべき賛辞」が、未来の日本からも送られたわけだ。 余談だが、ファンドールがいったん気を失い、別の場所で目覚めるというのは、明らかにジャン・マレーの代表作『オルフェ』をパロったもの。人里離れた奇妙な場所に車が突然置かれるい場面も、たぶんに『オルフェ』を思わせる。そしてファントマのアジトには、マレーのアトリビュートである大きな鏡もちゃんとあるという粋な配慮。 (追記) ファントマ第一作のオープニングでは、ロールスロイスがパリの中心部を走る。↓ http://jp.youtube.com/watch?v=FoVeYCe8GWE&feature=related このクルマのルートがわかるあなたはパリ通。 答えは、ヴァンドーム広場を背にしてカスティリオーネ通りを南下→ルーブルを背にしてリヴォリ通りを北西へ→コンコルド広場に出て(背後にマドレーヌ寺院)→シャンゼリゼへ(背後にコンコルド広場のオベリスク)→凱旋門からフォッシュ大通りへ(実はこのフォッシュ通りだけはチョイ自信がない) つまり、のっけから、もっとも華やかなパリらしい道を走ってパリ案内をしてくれているというわけ。これを見てるだけで、グッとくる。パリというのは行ってみると案外素っ気ない、そして疲れる街なのだが、離れていると妙にまた行きたくなる磁石のような魅力がある。毎日毎日東京で締め切りに追われ、休暇を取るヒマもない身となれば、なおさら。 <明日もファントマについてです> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.06.02 01:38:47
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